日本代表FW鎌田大地(22=シントトロイデン)が、国際親善試合ボリビア戦に1トップで初先発が濃厚になった。森保ジャパンの秘密兵器は、ガンバ大阪ジュニアユースで育ったがユースへ昇格できず、高校は京都・東山へ進学。同校の福重良一監督(48)は3年間で成長した精神面に期待した。

中学3年の時。G大阪ユース昇格の道が途絶え、進学候補の東山高のグラウンドに現れた鎌田は、ヤンチャな少年だった。帽子をかぶって、イヤホンを着け、指揮官は「なんじゃこいつと思った」という。だが、プレーは光るものがあった。視野の広いパスは「僕が教えられへんもの」とすぐに目を奪われた。

ただ課題は精神面。「高校サッカーに必要な精神、中学時に課題やったハードワークが足らなかった」。福重監督は3年間かけて鎌田に伝えた。

「試合中にも呼んで、ベンチで横に座らせてチームのために頑張る大切さを話した」

1年生の時から主力の実力はあった。だが、先発を勝ち取ることはできなかった。フォア・ザ・チームの精神を理解するまで、指揮官も起用法を考えていたからだ。「1年の時は全然出られなくてつまらない、何であいつが出てんねん、という感じだった」。そんな鎌田を変えた一戦があった。1年だった12年全国選手権決勝。1点を追う終盤、鎌田は同点に追い付く好機を逃してしまった。

「ワンチャンスで彼は外した。それで同点に追いつけた勝負を落としてしまった。その時のチームは総体も出て強かったけど、大地はそこで(敗戦の)責任を感じて。チームのために頑張るというのは、その瞬間感じたと本人も言っていた」

指揮官は何度も鎌田と話した。時には「プイっとすることもあった」というが、鎌田の心には響いていた。最終学年になる時は主将に立候補。だが、福重監督は「これは賭けや」と本人へ話した。

「『東山がつぶれるかのかどうか。今までの伝統をつぶすのはお前かもしれん、賭けや。お前がやって変わったらチームはえらい強くなる』と彼に託した。わがままをやってしまうと、お山の大将になってチームは崩壊する。自分のことしか考えなければ。でも、大地は自分で感じて変わっていった。Bチームの朝練を見たり、気にかけていた」

ヤンチャだった鎌田が自ら「携帯は登校したら監督に預ける」などルールを作った。生まれ変わった。いや、成長を遂げた。

指揮官は「3年間で変わった。精神は独特で強い。代表でも楽しみ」。鎌田自身も「得点を取れるようにしたい」と意気込んだ。平成最後の代表戦。22歳の新星が輝く。【小杉舞】