全日本大学サッカー選手権は11日、開幕する。19年連続36度目の出場となる仙台大(東北第1代表)は1回戦で桃山学院大(関西第4代表)と対戦。在学中でもJリーグに出場可能な特別強化指定選手として、6月からJ2横浜FCでプレーしていたMF松尾佑介(4年)が、リーグ最終戦を終え再合流した。13年ぶりにJ1昇格を決めた横浜FCの起爆剤となった男が、大学生活の集大成となる大会に臨む。

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J1昇格の余韻も覚めやらぬ中、松尾は以前と変わらぬ様子で宮城に戻ってきた。「周囲は変わったけど、自分自身は変わらないですね」と人ごとのようにつぶやく。J2で鮮烈な輝きを放った大学生に、浮ついたところは全くなかった。

まさにシンデレラストーリーだ。6月17日に同大で入団会見を行い、直後に横浜FCの練習に合流。「最初の1週間はひどかったですよ。プレーの強度とか全然通用しなくて散々だった。でも1週間後には体が慣れた」と半年前を淡々と振り返る。デビューも突然だった。同29日の岡山戦、FW草野の負傷で前半18分に声がかかった。まだアップを始めておらず、慌ててスネ当てを着けた。「テレビ解説の方にたたかれてたけど、あんな時間にスネ当てしているやつなんかいませんよ」と苦笑い。緊急出場にもかかわらず、いきなり左サイドから中央にドリブルで仕掛け、シュートまで持っていった。爆発的なスピードを武器に、左サイドハーフのレギュラーをつかみ、21試合で6ゴール5アシスト。加入後は16勝1敗4分けで14位から2位に大躍進。自動昇格をもたらす救世主となった。

カズ、中村、松井、南らそうそうたるベテランがそろう。気後れしても無理はないが、「遠慮している暇はなかった。最初通用しなかったので、やってやろうとしか思っていなかった」。カズは昇格を決めた愛媛戦後、「松尾に『緊張しないの?』と聞いたら、『全然しないっすね』と軽く言ったので、『すごいな』と。頼もしいですよね」と物おじしない30歳下の若武者に驚くしかなかった。

浦和ユース時代はトップに昇格できると思わなかったが、向上心だけは失わなかった。右利きだが高1の1年間、左足だけでプレーした。「体が小さくて右だけじゃきつい。左利きみたいに蹴れないと」。仲間から「右でやれよ」とキレられても己を貫いた。6ゴールも左右3本ずつ。「両利き」が武器となった。

ユース監督だった現浦和大槻監督の勧めで仙台大に進学。2年時に東北リーグ得点王に輝いたが、守備面での評価が低かった。そんな中、声を掛けてくれたのが当時スカウトだった横浜FC増田コーチだった。「大卒は普通完成しているが、自分はまだ6割と言われた。伸びしろに期待してもらった。増田さんがいなかったら今の自分はない」とチャンスをものにした。

クラブチーム出身者は先輩を「君付け」で呼ぶ習慣がある。当初、中村や松井を「シュン君、ダイスケ君」と呼んでいた。それを伝え聞いたカズから「オレのこともカズ君て呼んでよ」と笑顔でいじられた。誰からも愛される存在だ。

レジェンドたちとのプレーはかけがえのない経験だ。「カズさんはあの年齢でも情熱が消えないのはすごい」。松井からは「ル・マンでの話とか本当に刺激になる」と感謝する。中村には「1人だけ上から俯瞰(ふかん)しているみたいで、言われると『そうだよなあ』と思うことばかり」と異次元の感覚に影響を受ける日々だ。

シーズン中は月曜に宮城に戻り、火曜の授業に出席し、夕方横浜に帰る生活だった。「仙台旅行の感覚。代表とかに行ったらこんなもんじゃない」とたくましい。J1昇格を決めた翌日、今年最後のミーティングが終わると、別れ際にカズから「頑張ってこいよ」と送り出された。背番号37から10番のユニホームに着替え、集大成としての大会に臨む。【野上伸悟】

◆松尾佑介(まつお・ゆうすけ)1997年(平9)7月23日、埼玉県出身。大門幼稚園でサッカーを始め、戸塚東小3年から戸塚フットボールクラブジュニアに所属。桜木中では浦和レッズU-15、大宮西高では同18でプレーし、3年時にJユースカップ優勝。仙台大では2年時に東北大学リーグ得点王。2、3年時に東北選抜でデンソーカップ出場。好きなリーグはプレミアリーグで、好きな選手はクリスティアーノ・ロナルド、ネイマール、ロビーニョ、ロナウジーニョら「派手な選手」(松尾)。家族は両親と姉、弟。170センチ、64キロ。