J1ベガルタ仙台、J2モンテディオ山形やJFLソニー仙台FCなどでプレーし、現在はタイ2部ネイビーFCに所属するFW大久保剛志(33)が31日までにオンライン取材に応じ、同国で直面している新型コロナウイルス感染拡大下の生活事情を語った。

「公園でのランニングが解禁されたので、最近は外を走れるようになっています」。タイでは3月26日に非常事態宣言が発令。「直後は全土の店舗が閉まり、利用可能なのは飲食店のテークアウトとデリバリーだけ」という態勢になった。午後10時以降の夜間外出も1カ月以上、禁止(現在は同11時以降に緩和)。おおらかなタイ人でも破らなかったという。4万バーツ(約13万5600円)の罰金が科されるためだ。日本の3分の1程度とされる物価を勘案すると、なおさら従うしかない。公安の見回りも厳しく「夜は、本当に街から人が消えました」という状況が続いた。

感染者数は5月末で累計3000人超、死者数50人超。日本と比べても、周辺国のマレーシアやインドネシアと比較しても少ない。それでも厳戒。活動制限の解除は4月末→5月末と延長され、今月26日には、さらに6月末まで延びることが発表された。

その中で現在は、チームの本拠パタヤからバンコクへ移って全体練習合流に備えている。「タイリーグの再開は9月ではないか、と言われてますね」。やはり日本より慎重。6月1日から競技場での練習が許可される見通しだが、非常事態宣言が解除されなくては試合のメドも立たない。7月予定となっていたチーム練習の再開も流動的だ。

タイ生活は今季で通算7シーズン目を迎えるが、当然初めての事態。異国へ単身赴任という環境が厳しさを増しても、笑顔で始めた取り組みがある。YouTubeチャンネル「GOSHI SMILE FOOTBALL」(https://www.youtube.com/channel/UCh2tyJpUL6SEwz8wUaeCcCQ/videos)の開設。タイトルは、2011年の東日本大震災以降、故郷の宮城・岩沼市で続けている慈善サッカー教室など復興支援のプロジェクト名と同じだ。

所属するマネジメント会社UDN SPORTSが展開する「#つなぐ」プロジェクトにも75人のアスリートの1人として参画。マスク総計20万枚の配布への協力や、オンライン交流「#つなぐトークご当地編~宮城県~」にも参加してきた男は、個人的にも支援の形を模索していた。「#つなぐ」プロジェクトの開始日と同じ5月1日にYouTubeチャンネルを立ち上げると「午前午後の1日2回」を31日まで毎日アップし続けると宣言した。

「自主トレしながらの1日2回は、なかなかの覚悟が必要でしたが、子供たちのために。タイも日本も、休校措置が解除されそうになっては延期、延期となっていたので、精神面が心配になって。それを考えたら動かずにはいられなかった」。時には“宿題”を配信し、実際のチャレンジ動画を“提出”してもらい、アドバイスを返した。「この状況を、どう過ごしていいか分からない子供たちに少しでも役立ててほしかった」という一心で。

午前はドリブルやボールタッチなどスキル、午後は全身を順に鍛えるエクササイズが中心。「挫折の乗り越え方~プロ編~」など座学の回や、シナプソロジー(脳の活性化プログラム)紹介など多岐にわたる配信を重ねてきた。思いに賛同し、編集に協力してくれた木野村公昭さん(タイの8チームを渡り歩いた元プロサッカー選手)とともに、この日、通算62回目となる投稿「トーク~ありがとう!編~」でゴールテープを切った。

振り返れば「毎日、追われてました。孤独…からの自己満足」と笑う初の配信生活で「子供たちとの関係が、より深くなったと感じています。さらに提供できたら、という思いで、今は運動不足の子供たちのためにランニング教室も始めました」。日本の少年少女には動画を届けつつ、現地では日本人学校に通う児童と実際に会って汗を流している。「まだ大勢で走ると(公安に)注意されるので1日3、4人の子供たちと走っています」。日常が戻る日まで寄り添っていく。

あとは自身のリーグ再開を待つ。今年1月に1日だけ帰国(岩沼市の成人式で講演)して以降、1度も日本に戻っていない。2月に開幕を迎え、4試合を消化して3勝1分けと好発進した(得失点差で3位)。「今年の目標は、もちろん1部昇格。いいスタートを切れたところでの中断は残念だったけれど、再開後も続けて必ず目標を達成したい」。助っ人生活7年目。触れ合ってきた子供たちのためにも、東南アジアの新型コロナ禍に立ち向かう日本人としても、弱音を吐けない1年になる。【木下淳】

 

◆大久保剛志(おおくぼ・ごうし)1986年(昭61)6月14日、宮城県岩沼市生まれ。岩沼西スポーツ少年団、ベガルタ仙台ジュニアユース、ユースをへて05年にトップ昇格。08年にソニー仙台へ期限付き移籍し、11年に仙台復帰。12年にソニー仙台へ完全移籍。13年に半年間で12得点を挙げると、J2山形に評価されて同年夏に加入。退団後の14年からタイ1部リーグに初挑戦し、バンコクグラスで31試合11得点。以来“優良外国人”として7年目を迎えた。18年7月から半年間は2部PTTラヨーンからJ2京都サンガへ期限付き移籍。19年は2部MOFカスタムズ・ユナイテッド、今季はネイビーでプレー。家族は夫人と1男。171センチ、65キロ。血液型A。