【1区】群馬県庁→高崎市役所(12・3キロ)

区間日本人最高記録保持者:太田崇(当時29=コニカミノルタ)

記録:34分25秒(06年区間3位)

現在41歳。ホクレン女子監督

 

 区間日本人最高記録を持つ太田はこの区間の特徴を「勝負勘の1区」と表現した。10キロ手前に上りがあるが、コースのほとんどはフラットで、風も午前中の早い時間帯はあまり吹かない。コース対策よりもレース展開にどう対応するか、あるいは、レースをどう動かすかが勝敗を左右する。

 1区は“絶対に後れるわけにはいかない区間”のため、なかなか前半から飛ばすことができない。当時はインターナショナル区間の設定がなく1区もアフリカ勢が走った。06年の太田はアフリカ勢にただ1人ついて行く戦法をとった。10キロ通過は28分1桁台で、1万メートル自己記録とほぼ同じだったという。「12月の八王子ロングディスタンスでも日本人1位でしたから、日本人の集団で行ったら自分が引っ張ることになる。だったら10キロまでは外国勢に食い下がり、残り2・3キロは粘り抜くつもりでした。そうしたら、外国勢に最後までつくことができて(区間1位と1秒差)、記録も出ていました」。

 1区は01年から現行の12・3キロのコースになったが、太田の前の日本人最高は、先輩の磯松大輔(現コニカミノルタ監督)が03年に出した34分46秒。それも太田と同じように外国勢に食い下がって出したタイムだった。06年の太田はそれを21秒も更新。区間日本人2位には31秒もの大差をつけた。当時はコニカの全盛期で、太田の快走もあってチームも5度目の優勝を飾った。

 2年後の08年にも同じ1区で34分40秒と、区間日本人歴代2位のタイムで走っている。そのときは「2~3人が10キロまではいたと思う」と、他の日本選手も太田の戦術に対応した。日本人2位の大野龍二(旭化成)も4秒差で続いたのである。だが、1区の走り方としては08年の方が完成度が高かったという。「06年に1区の走り方をつかめた気がしました。10キロで少し貯めて、ラスト2・3キロのタイムは08年の方が良かったですからね」。

 09年からは外国人選手の起用は2区に限定され、太田の記録に近づく日本選手は現れない。日本選手だけでは、以前のようなハイペースに持ち込むのが難しいようだ。13年の宮脇千博(トヨタ自動車)は最初から飛ばし34分台(34分48秒)をマークしたが、ここ数年は終盤でスパートをかけ合う展開が続いている。

 「僕の頃は外国人について行く決断が勝負を決めました。今は、どこでスパートするか。どちらのケースも“ここだ!”という勝負勘が勝敗を左右すると思います」

 18年の1区は、どちらのパターンの勝負になるだろうか?