2月20日、明るいニュースが次々と舞い込んだ。大坂なおみ選手が全豪オープンテニスで2年ぶり2度目の優勝を果たした。競泳の池江璃花子選手が東京都オープンで復帰後初のバタフライに出場し、100メートル59秒44で3位に入った。

池江選手は翌日の50メートルバタフライでは、なんと25秒77の日本学生新記録で優勝した。自身のベストとはまだ差があるが、4月の日本選手権兼東京オリンピック選考会へ向けて、手応えや課題が明確に見えた試合になったに違いない。

大坂なおみ選手はプレーもそうだが、そのコメントも世界的に注目されていて、アスリートの価値というものが、裾野を広げている印象がある。

同じく2月20日に開幕したラグビートップリーグ2021に出場している福岡堅樹選手も、順天堂大学医学部に合格したとの報告がツイッターなどであった。

時代は確実に変化している。変化することは、アスリートにとって困難なことではないように感じる。なぜなら、記録を伸ばす、パフォーマンスを伸ばす、変化することが常であるからだ。そんなアスリート自身が成長し、変化し、社会の一部としてエリートスポーツというフィールドだけではないまた別のフィールドでの立場を今までとは異なった形で確立してきているように思う。

昔は多くのアスリートが「スポーツだけをやる」「競技力向上だけを考える」など、アスリートキャリアと選手生活が終わったあとのキャリアをセパレートして考えていた。しかし2000年策定のスポーツ振興基本計画から、スポーツ分野での議論が活発となり、2015年にはデュアルキャリアとしての提言も行われ始めている。このような背景もあり、現在のアスリートは、文武両道だったり、人生という長い時間の中でのアスリートキャリア形成を、自ら考えるようになっているのだろう。

私自身、よく質問されることがある。「いつからセカンドキャリアを考えていましたか?」。私の時代も、まだまだ引退後のキャリアに対する考え方などは、浅かったように感じる。ただ言葉は知っていたし、「人生これから!」とも考えていたから、自分はまだまだやることがあると感じていた。

アスリートによって異なるが、私の場合は引退後を考えることは楽しいことであった。さらに、見本となる先輩が周囲にいて、何かあるたびに相談していた。いつから考えていたかといえば、引退したのがロンドンオリンピックに出場した2012年。その4年前から考えていた。

考えていたと言っても、それほど具体的ではない。「こんな仕事をしたいな」とか、「オリンピックには関わっていきたい」とか、ぼんやり思いを巡らせていた。

引退して最初に思ったことは、「アスリート以外の肩書が欲しい」。選手だった自分は、そのうち過去のものとなってしまうからだ。なんとなく、引退後3年が大事と自分の中で決めていた。実際には博士課程を卒業するまで5年かかったのだが、時代がどんどん変わっていく中、仕事もこなしながら、アスリート以外の分野で「頑張った」時間を過ごせた大切な期間だった。

今は「デュアルキャリア」という言葉もあると伝えたが、現在のアスリートたちは、別次元の時代に突入している。

先日、テレビである特集を見た。競歩男子が残り1枠の代表権を、苦楽を共にしてきた親友同士で争っているという内容だった。アスリートが語っている言葉が印象的だった。「相手の夢を奪うことではなく、アスリートとして人として、全力を尽くすことが相手への誠意である」。アスリートは自分で価値を作れると思った。誰かが決めた価値ではなく、自身で作れる。素晴らしいコメントだと思った。全力で戦ってこそ、相手への誠意、尊敬が生まれる。この素晴らしい経験、体験をしているアスリートの未来はきっと素晴らしい社会を作っていくだろう。(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)