東北ゆかりのスターたちに生い立ちやターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」。第5弾は今秋9月開幕のバスケットボール新リーグ、Bリーグ1部東地区仙台89ERSの顔、PG志村雄彦(33)を2週にわたってお届けします。1回目の今回はバスケットを始めた小学校時代から高校時代まで。小学5年時に米NBAを生観戦して魅力に取りつかれ、宮城・仙台高に進学後に今の土台が築かれました。
子どもの頃はかなり活発でした。公園とか学校の遊具とかたくさんありましたし。外で遊び、動くのが好きでサッカーも野球もやっていた。学校の休み時間は校庭を走ったり。ガキ大将だったと思います。落ち着きがなくてエネルギーは有り余っていましたよ。今思うと、弱い者いじめとかしていたんじゃないかな(笑い)。自己主張が強かったと、後々になって小学校の先生から聞きました。
バスケットは小学3年から。両親が学生のころからバスケットをやっていて。一番身近にあったスポーツでしたね。「やれ」って言われたわけじゃない。自分から。その頃からポジションはガード。BS放送でNBAをやっていて、マイケル・ジョーダンが現役。よく見ていた。NBA見て影響されて、それをまねしようというのは、ありましたね。
小5の時に、父親と2人でアメリカにNBAを見に行ったんですよ。そこが僕の転機の1個目かな。ロサンゼルスでレーカーズとウォリアーズ、レーカーズとホーネッツ。ホーネッツに160センチのポイントガード、マグジー・ボーグスがいて。もともと好きだったので、彼を見たくて。
会場の雰囲気とか今でも思い出に残っているんですよ。プレーもそうなんですけど、周りの観客の感じとかNBAの雰囲気とか。漠然とですけど、日本でもこういう光景が見たいなと思いました。鮮明に焼きついてますね。日本の実業団の試合とは違う。ファンが自分の地元を応援する。どっちが勝ったのか、どっちが負けたのか試合は全然覚えていないですけど、自分にとっては衝撃的でしたし、バスケのすごさっていうのをあらためて思いました。バスケって楽しいな。のめり込んでいったきっかけだったのかな。それまで(バスケに)本気にはなっていましたけど、ワクワクするような、楽しいなって。
中学2年の時に宮城県選抜に選ばれて、そこで初めて全国レベルの大会に参加しました。自分はサイズが小さいと、その時から思っていました。身長は150センチを超えるぐらいかな。どこまで通用するのか分からなかったですけど、全中(全日本中学校選手権)オールスターで準優勝して。それから優勝したいな、という思いがあって。オールスターの仲間と一緒にプレーしたい。その当時から全国の常連ということもあって、仙台高に行きたいなって思いました。
仙台高では(2学年上の)能代工の田臥(勇太)さんが、当時のスーパースターでしたので。1年生の時にマッチアップする機会があって、それはうれしかった。すぐにマッチアップできるとは思っていなかった。(監督の)佐藤久夫先生(現明成高ヘッドコーチ)が試合に出してくれて、1年生の僕に経験を積ませてくれたのかな。
久夫先生から学んだこと? それってすごく難しくて、正直、分からないのが答え。夢中になって久夫先生が引っ張ってくれたことに、ついていった3年間。久夫先生の言うことを必死に把握して、ついていけば優勝できると思った。その結果が(全国選抜優勝大会)優勝2回になった。たくさんのゲームをしたこともそうですし、毎回高いレベルを要求されました。練習は細かく指導されて、シュートやパスといった1つのプレーが1回できないと、もう1回ってね。緊張感がありましたね。僕がよく言われていたのはポイントガードはミスをしない、ということ。ミスをすると直接、失点につながるポジションですから。それは今のプレーでも頭に入れています。土台をつくってもらったのは久夫先生のバスケットですね。
高校時代は160センチ。当時もサイズの大きい選手が評価されやすくて、デメリットでしたから、常にいろいろ考えてプレーしていました。相手の股下を通すパスとか。小さいから自分はディフェンスが弱点。ゴール下まで相手に来られると守れない。だからゴール下に来られる前にスチールとか狙ったり。高校時代はよく足を使って、練習はよく走った。久夫先生からは、サイズの小さい選手は走らなきゃって。(つづく)
◆志村雄彦(しむら・たけひこ)1983年(昭58)2月14日、宮城県泉市(現仙台市泉区)生まれ。将監(しょうげん)中央小3年時に、泉中央バスケット教室で競技を始める。将監中では宮城県選抜メンバーとして全国準優勝。仙台高では2、3年と全国高校選抜優勝大会を連覇。3年の国体優勝。慶大を経て実業団の東芝に入社。08年のbjリーグドラフト会議で仙台から1巡目全体7位指名を受けて入団。11年3月の東日本大震災による仙台の活動休止により琉球にレンタル移籍。11~12季に仙台復帰。160センチ、65キロ。夫人はミヤギテレビの武田玲子アナウンサー。
◆マグジー・ボーグスとは 1965年生まれ。160センチのポイントガードで、NBA史上最も身長が低い選手。87~88季からブレッツやホーネッツなどで14シーズンプレーした。通算6858得点(NBA最多は3万8387点)、通算アシスト6726回(同1万5806回)、通算スチール1369回(同3265回)と記録では突出していないが、スピードと技術に加え、200センチを超える選手をブロックするジャンプ力も武器にした。
◆ポイントガード(PG) 司令塔の役割を担い、チームで最も器用な選手が務める。ゴール近くにいる高い身長のセンターやパワーフォワードと違い、俊敏性や状況判断力、リーダーシップが求められる。得点よりも周囲を生かすのが志村の特徴で、bjリーグ12~13季は1試合平均6・25本で、最多アシストのタイトルを獲得している。
(6月9日付 日刊スポーツ東北版掲載)
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