【DeNA週間②藤井秀悟と涙】巨人戦の全力疾走から封印 関西独立からNPB入りで…解禁予定

44歳にして初めて「プロ野球」の外に飛び出した、ヤクルト、巨人などで活躍した藤井秀悟さん(44)。今年から、さわかみ関西独立リーグの「06(ゼロロク)ブルズ」でGM補佐兼任投手コーチとして活動。並行して、学生に就職先をあっせんする仕事にも取り組んでいます。縁のなかった大阪の地で、全く新しい道を歩み始めた苦労と喜びを聞きました。

ストーリーズ

柏原誠

ヤクルト時代、2001年に14勝をマークし最多勝利

ヤクルト時代、2001年に14勝をマークし最多勝利

★「06ブルズ」GM補佐兼投手コーチ

大阪府と奈良県を隔てる生駒山。

その麓(ふもと)にある東大阪市の花園球場が、06ブルズの本拠地だ。

話し始めて30分たった頃、記者の手にあるメモ帳をちらっと見ながら、藤井さんが切り出した。

「こうやって僕が話したことが記事になるんですよね。記者さんの仕事って本当、すごいと思います。ニッカンさんには、よく新聞に大きく載せてもらっていたんですよ」

主力選手だった現役時、取材を受ける機会は多かった。番記者との良好な関係もあり、取材者側の視点にも立って物事を考えることもあった。

当時の選手としてはめずらしくブログを配信し、DeNAでは打撃投手に広報を兼務した。確実に視野は広がっていった。

それでもNPB(日本プロ野球機構)の枠から出て、初めて「社会人」になった今、他業種で働く難しさを実感している。

マウンドで指示を出す藤井GM補佐兼投手コーチ=2022年4月

マウンドで指示を出す藤井GM補佐兼投手コーチ=2022年4月

チームのオーナー企業、株式会社cantera(本社・大阪)の社員。

主に学生アスリートの就職支援を任されている。この業務が自分を見つめ直す機会にもなった。弱みと向き合うことで、強みを見いだそうと努めている。

「大学の時に就活(就職活動)しておけばよかった、と後悔があります。僕は野球しかしていない。引退しても野球に関係した裏方になって、ほかの業種はやっていない。自分の強みを知らないんですよ。自分のことを言語化できない。『藤井くんはうちの会社で何がやれるの?』『野球を頑張ってきたから頑張れます』くらいしか言えないんじゃダメ。でも、自分がしてこなかったからこそ、伝えられることがあるのかな、と思います」

★今治西、早大、ヤクルト、日本ハム、巨人、DeNA

野球を通じた人脈は広い。以前から少しの劣等感があった。

何かの仕事を得たとしても、自分に何ができるのか。今も突き当たっている壁だ。

学生とは対面やオンラインで向き合いながら「自分はこういう人間です。だからこういう貢献ができます」と言語化するサポートをしている。

この試行錯誤は、グラウンドにも通じている。

2008-09年は日本ハムに所属した

2008-09年は日本ハムに所属した

野球選手としては十分な成功だった。

今治西(愛媛)ではセンバツでベスト4。

早大から逆指名で入団したヤクルトで、2年目に最多勝、リーグ優勝。ヤクルト、巨人、日本ハム、DeNAで通算83勝の成績を残した。

「優勝は一番の思い出ではありますが、それよりもケガをした経験の方が人生には役立っています。4球団で15年も野球をやれたことが生きている。プラスして、裏方で7年間もできたのはよかったですね。僕は選手に失敗したことを話します。同じ失敗してほしくないですから」

★4度の故障

故障に泣かされた。

左肘は4度故障している。最初は3年春のセンバツ。

準々決勝であと3人という9回の初球、肘が悲鳴を上げた。4強入りを目前にして無理をした。

3年春のセンバツ準々決勝の9回、突然の左腕肉離れを起こし無念の降板=1995年4月3日

3年春のセンバツ準々決勝の9回、突然の左腕肉離れを起こし無念の降板=1995年4月3日

プロ入り後は手術も経験した。2歳下のヤクルトの同僚・石川雅規が今も勝ち続けているように、藤井さんの投球も工夫のたまものだった。

「フォームのアドバイスはもちろんするけど、小学校から投げてきたフォームがそうそう変わるわけじゃない。効率よく力が伝わる方法とかは、伝えることはできる。独立リーグの選手なら修正できる幅は広いと思う。いじくるというより、体の使い方だったり『こういうことをしすぎると故障するよね』と。彼らの場合、どんな取り組みをしているか、どんな方向性を持っているかが大事になってくる。NPB目線で見るところと、選手のレベルまで降りていって見るところと、使い分けています」

取材当日、スタンドにはNPBの3球団のスカウトがいた。

ドラフトの候補リストに残すか、外すか。追いかける価値があるのか、ギリギリのラインにいる選手がこのリーグには多い。

移籍初勝利をあげ、原監督からねぎらいの握手=2010年4月27日

移籍初勝利をあげ、原監督からねぎらいの握手=2010年4月27日

スタンドにいたうちの1人、巨人岸敬祐スカウト(35)も熱心だ。

自身も旧関西独立リーグから四国アイランドリーグを経てのプロ入りだった。10年育成ドラフトで巨人に入団。

他の新人選手よりも早く入寮したため、1人でいるのを見た藤井さんが「キャッチボールやろう」と声をかけてくれた。

そんな藤井さんの野球観や人柄はよく知っている。くすぶったまま引退していく選手が多い中、藤井さんの加入により、このリーグに化学反応が起きるのではないか、と目をこらしている。

★「暗黙の了解」知らず

さわかみ関西独立リーグは「プロ」ではあるが、野球による基本報酬はない。

ほとんどがアルバイトなどで生計を立て、NPB入りを夢見る。

06ブルズは茶髪、ピアスを禁止。言葉遣いや態度も厳しく指導される。野球を通じた社会人教育を行う組織でもある。

中畑清監督と笑顔で抱き合う=2012年7月10日

中畑清監督と笑顔で抱き合う=2012年7月10日

そこで日々、懸命に白球を追う若者の姿に共鳴している。

豪快なイメージを抱かれがちな藤井さんだが、性格も、投球スタイルも繊細だった。進学校である今治西を出ており、いわゆる野球エリートとは少し毛色の違う印象を周囲に与えていた。

たとえば、多くの人の記憶に残っている、あの「涙」だ。

優勝した01年の巨人戦。

7点の大量リードで打席に入った藤井さんは、内野ゴロを打って一塁に全力疾走。巨人ベンチから厳しいヤジが飛んだ。

藤井さんは泣きながら次のマウンドにも立ったが、まともに投球できず、降板を余儀なくされた。純粋すぎるが上のハプニング。

「暗黙の了解」の解釈が当時物議をかもし、藤井さんを擁護する声も多かった。

2001年5月23日の日刊スポーツ3面

2001年5月23日の日刊スポーツ3面

あれ以来、全く泣いていないという。起伏の激しい野球人生だったが、不思議と涙は出なかった。

「優勝しても泣きませんでしたから。でも、このリーグからプロ野球選手が出たら僕は泣くと思います。06ブルズの選手じゃなくても、打者でも泣くでしょうね」

もう1度泣くためのストーリー。本気の挑戦だ。