北京五輪カーリング女子で日本代表のロコ・ソラーレが金メダルを懸けて英国と午前10時5分(日本時間)から対戦する。「常呂っ子(ロコ)」と「太陽(ソラーレ)」を組み合わせて名付けられたチームは、メンバー5人中3人(リード吉田夕梨花、セカンド鈴木夕湖、サード吉田知那美)が北海道の北見市常呂(ところ)町の出身だ。その聖地・常呂について紹介します。【取材=阿部健吾】

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常呂は人口3500人ほど。冬の寒さが厳しいオホーツク海とサロマ湖に面した小さな町だ。

なぜ聖地になったの? 教えてくれた常呂町カーリング倶楽部理事長の鈴木繁礼さんは、「こんなに広がるとは思ってなかった」と懐かしむ。股関節が硬い日本人には、沈み込む姿勢がきついと感じたという。

事の起こりは1980年(昭55)。北海道とカナダ・アルバータ州の姉妹提携の縁で行われたカーリング講習会だった。町からも3人が参加、その1人が故小栗祐治さん。たちまち魅了され動きだした。最初は屋外スケートリンクの隅っこ。毛糸を氷の中に埋めハウスを作り、石はビールのミニたるを利用した。農業と漁業の町。冬場に体を動かす目的で仲間を募った。

当初は道内各地で行われていたが、転機は89年の「はまなす国体」だった。実施が決まり、アジア初の専用リンク「常呂町カーリングホール」が88年に完成した。「いままでは氷が傾いていたり、山があったり。ラッキーショットで勝つのがなくなって、レベルの高いチームが勝つように。それで、五輪選手が出るようになってきたね」。

鈴木さんの言うように、競技採用された98年長野には5人。以降も北京まで全大会に出身者を送り出す。90年からは小学校の授業に取り入れられ、5人に1人は経験者で、町内リーグには約40チームが参加し、常呂神社の絵馬は石の形だ。

そんな町も06年に合併。「常呂郡常呂町」から「北見市常呂町」となった。中心地の北見駅までは約40キロ、車で1時間。電話番号の局番も違う。いま市政は「カーリングのまち北見市」をキャッチフレーズにし、北見駅には「カーリングポスト」があり記念グッズもわんさかある。それまでは北見といえば焼き肉だったという。そこにカーリングが加わった。

13年に常呂町に新設された「アドヴィックス常呂カーリングホール」に続き、20年には旧北見市内に「アルゴグラフィックス北見カーリングホール」もオープン。ただ「少子化で、常呂でも競技する子が減ってきている」と鈴木さんは言う。それだけに、今回のロコ・ソラーレの快進撃はカーリング・ブーム再燃とつながりそうな気配だ。

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