陸上女子100メートルで日本記録を持つ福島千里(32=セイコー)は東京オリンピック(五輪)出場の道が絶たれた。予選4組で12秒01の5着。4大会連続となる五輪の可能性がなくなり、「シーズンベストを出せなかったことは戦略的にも身体的にも反省というか、足りないというか、劣っているというか…出し切れなかった。自分の力不足」と振り返った。

代表に入るのは参加標準記録11秒15を突破し、日本選手権で3位以内になる必要があった。自身の日本記録よりも高いタイム。極めて厳しい挑戦ではあったが、諦めてはいなかった。ただ、やはり、その壁は高すぎた。200メートルにはエントリーしていない。この結果で、女子400メートル代表の東京五輪代表入りもかなわなくなった。翌日の決勝どころか、この日の準決勝に進むことも出来ず、「1日も持たずに日本選手権が終わるという失態を犯してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱい」と肩を落とした。

この日本選手権のスタートラインもギリギリで立てた状況だった。ずっと日本選手権の出場に必要なタイム11秒84の基準も満たせておらず、権利を得たのはラストチャンスだった6日の布勢スプリントだった。

五輪には08年北京五輪から3大会連続で出場。自己ベストは100メートルが11秒21、200メートルが22秒88で、それはともに日本記録。女子短距離界の歴史を塗り替え続けてきた。16年リオデジャネイロ五輪後も進退を考えていた。ただ、走る事は辞めなかった。そして、さらなる成長を求め、1度はプロにもなった。

しかし、思い描いたキャリア通りとはいかず、苦難が続いた。数年はアキレス腱(けん)など故障の負の連鎖が続いた。それに苦しみ、結果が伴わなくなった。痛みは消えても、自然とかばう動作が身についてしまい、強い力を入れることへの恐怖心も付きまとった。まさに心と体と向き合いながら、必死でもがいていた。まずは力を出すことを怖がらないように、心の壁を壊した。

気持ちはずっと変わらずに前を向けていた。4月から順大大学院のスポーツ健康科学研究科に進学し、スポーツ医科学などをの専門的な知識も学ぶ。「まだまだ、ついていくだけで精いっぱい」と苦笑いするが、復活への足掛かりとしようとしていた。