東京五輪は4日、開幕200日前となった。16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)競泳男子400メートル個人メドレー金メダル萩野公介(26=ブリヂストン)が、日刊スポーツの新春インタビューに応じて、2度目の五輪イヤーを迎えた今の心境を語った。21年の抱負を1字で「勝」とした金メダリスト。だがそこに向かう道のりはリオとは違うルートだった。【取材・構成=益田一弘】

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萩野は、抱負を漢字で「勝」と記した。19年は「泳」、20年は「一」だった。抽象的だった過去2年と比べて明確だ。「勝」=五輪金メダルを連想させるが、その道のりでリオ五輪と違う景色を見ている。

萩野 純粋に思うところは、自分自身の最大の泳ぎをしたい。やれることはやった、とスタート台に立ちたい。何も臆することなく、自分の100を出したい。この気持ちがすべて。

結果を求めて、金銀銅を獲得したリオ五輪とアプローチが変わった。それはリオ後の苦闘からだった。19年春の3カ月休養をへて、20年は五輪に向けて、急ピッチで仕上げていった。

萩野 19年はその場、その場でせわしなかった。20年は五輪に向けてぐーっと集中する感覚がなかった。

昨年2月は五輪出場も危ういと感じさせるほど、泳ぎに精彩を欠いた。そこで東京五輪延期が決まった。

萩野 延期は自宅で知って、この時間を大事にしなきゃと思った。コロナ禍で泳ぐことは当たり前のことじゃないとも再確認した。

試合のメドも立たず、練習する日々。頭に浮かんだ言葉があった。「富士山の頂上を目指すのはAというルートだけじゃない。BルートもCルートもある」。平井コーチの言葉だった。

萩野 頂上に到達するにはいろんな方法がある。僕はその言葉をすごく信じていて、いい言葉だと思う。

「勝」をつかんだリオ五輪と過程が異なってもいい。過去の自分、過去のタイムと比べなくていい。悪戦苦闘でも、自分のベストを尽くせばいい、と思えた。

萩野 金メダルをとりたい、タイムを出したいというものより、今の僕には優先される。それは競技結果として、よくないことかもしれない。正直(19年春に)休んでいた期間も水泳にとってよくないかもしれない。でも休養は人間としてすごく大事な期間だった。

萩野は苦境だった1年前に「僕がひとつだけ自信を持っていることがある。僕が一番いい泳ぎをしたら絶対、誰にも負けない。結果的にそうなる」とさらり言った。常人にはいえない強い言葉に自負がにじむ。そして昨年12月、日本選手権で個人メドレー2冠。ついに五輪派遣標準記録も突破した。「勝」への新しい道がはっきりと見えてきた。

萩野 心が揺れ動いても自分が納得して1歩1歩前に進む。それが今の僕にとって最大のパフォーマンスを発揮する方法だと思う。

◆萩野公介(はぎの・こうすけ)1994年(平6)8月15日、栃木県生まれ。作新学院中-作新学院高-東洋大-ブリヂストン。12年ロンドン五輪400メートル個人メドレー銅。16年リオ五輪は同種目金、200メートル個人メドレー銀、800メートルリレー銅。400メートル個人メドレー自己記録4分6秒05は日本記録。19年にシンガー・ソングライターmiwaと結婚して、第1子が誕生した。177センチ、71キロ。

◆萩野の今後 新年初レースとして北島康介杯(1月22~24日、東京辰巳国際水泳場)にエントリーしている。その後は調整レースをへて、代表選考を兼ねた日本選手権(4月3~10日、東京アクアティクスセンター)に出場。個人種目は同選手権の決勝で、日本水連が定めた五輪派遣標準記録をクリアして2位以内に入ることが条件。萩野が出場を狙う個人メドレーは200メートル、400メートルともに瀬戸大也が内定しており、萩野は残り1枠をかけて出陣する。五輪代表に選ばれれば、7月23日開会式を迎える東京五輪に出場できる。

萩野の苦闘

◆16年7月 400メートル個人メドレー金など金、銀、銅とメダル3個を獲得。

◆同9月 右ひじ手術。

◆17年7月 世界選手権個人メドレーで200メートル銀、400メートル6位。800メートルリレーで精彩を欠き号泣。

◆18年1月 疲労蓄積で入院。肝臓の数値が異常で医者に「動いたら死ぬ」。

◆同8月 パンパシフィック選手権個人メドレーは200メートル銅、400メートル銀。

◆19年2月 コナミオープン400メートル個人メドレー予選で自己記録よりも17秒以上も遅い4分23秒66。

◆同3月 日本選手権欠場を発表。「モチベーションを保てない」と休養。

◆同8月 W杯東京大会で半年ぶりのレース復帰。「素直にうれしかった」。

◆20年2月 コナミオープン400メートル個人メドレーで4分20秒42の4位。「泳ぐ前に怖いという不安」。

◆同6月 五輪延期に「もし東京五輪が来ていたらちょっと厳しかった」。

◆同8月 半年ぶりのレースとなった東京都特別大会200メートル個人メドレーで1分58秒20の1着。「復帰後では一番いいレース」。

◆同10月 ブダペストの国際リーグに参戦。400メートル個人メドレーで5連勝。

◆同12月 日本選手権で個人メドレー2冠を達成。