【追憶 江川卓〈8〉】あと1人でも泰然「晩ご飯、何だろな?」の問いにボソリと…

夏が来れば思い出す、江川卓の群像劇。本人がたっぷり語った15回連載を送ります。1年夏、準々決勝の完全試合を振り返る第8回。(2017年4月12日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

★71年夏準々決勝、烏山戦 栃木で初

「怪物」の片りんは、1年生からうかがえた。71年(昭46)7月23日、夏の県大会準々決勝、烏山戦。

作新学院の背番号17、江川の体?(たいく)は、181センチ、75キロとやや細め。それでも「石投げ」で鍛えた地肩と、下半身のバネを駆使して、何と、夏の栃木県大会初の「完全試合」を達成する。

普段は、勝っても負けても、ポーカーフェースを崩さないが、さすがにこのときだけは、上級生から祝福され、わずかに口元を緩めている。

投球内容は、三振8、内野ゴロ11、内野飛球3、外野飛球5。投球数は103で内訳は直球96球、カーブはたった7球。ただ甲子園での三振奪取のイメージからすると、8個というのは、いささか物足りない。

江川もそこに着目した。「まだ、体が完全じゃなかったんだね。それに、へばってた。ホントに完全試合を達成した実感ってなかった。投げ終わってホッとしたということだけだよ」。

★奪三振8「へばってた」

「へばってた」という言葉が、初々しい。2回戦の足尾戦の4回のマウンドから、公式戦初登板。5イニングを投げて7三振、無安打の失点0、と満点デビュー。

中3日で迎えた足利工大付戦では先発。3安打、6三振に完封している。翌日に行われた烏山戦は、連戦、連投で迎えていた。さしもの「怪物」も、まだスタミナに難があったのだ。

江川の2学年上、3年三塁手だった大橋弘幸は、完全まであと1人となった時、マウンドにいき、声を掛けている。「今日の(寮の)晩ご飯、何だろな?」。その答えに、大橋弘幸はおののく。

1955年(昭30)、和歌山県生まれ。早大卒。
83年日刊スポーツ新聞社入社。巨人担当で江川番を務め、その後横浜大洋(現DeNA)、遊軍を経て再び巨人担当、野球デスクと15年以上プロ野球を取材。20年に退社し、現在はフリー。
自慢は87年王巨人の初V、94年長嶋巨人の「10・8最終決戦」を番記者として体験したこと。江川卓著「たかが江川 されど江川」(新潮社刊)で共著の1人。