【追憶 江川卓〈9〉】「作新の校歌も、4分の3拍子。江川のリズムと一緒」

夏が来れば思い出す、江川卓の群像劇。本人がたっぷり語った15回連載を送ります。牛耳られた各校は、知恵を絞ってユニークな対策を講じます。(2017年4月13日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

★ピアノ特訓で二塁打

漫画の世界のことではなかった。烏山の新チームで主将となった棚橋誠一郎は江川対策として「ピアノ」を挙げた。

「スイングスピードを速くするとか、高めの球に手を出さないとか、そういう問題じゃない。あのリズミカルな投球は、もう感性じゃないと打てない。音感で運動神経を磨こうと。ピアノでクラシックを弾きまくりましたよ」

水島新司「ドカベン」の“リアル殿馬”が、いた。

1番打者の棚橋誠一郎は、ピアノ効果? か、その後二塁打を放つなど「江川撃ち」に一定の成果を残す。

完全試合を達成された烏山ナイン。前列左から棚橋誠一郎、神長富志夫、堀江隆、後列左から瀧田典男、山本登志男=2017年4月

完全試合を達成された烏山ナイン。前列左から棚橋誠一郎、神長富志夫、堀江隆、後列左から瀧田典男、山本登志男=2017年4月

烏山の1学年下の右翼手、山本登志男は「江川さんの投球を8ミリで撮影したのを見ましたが、バックスイングからリリースまで1コマだった。腕の振りがすごく速い」。

同じく左翼手の瀧田典男も大きくうなずいた。烏山ナインは、汚名をすすぐために、硬軟織り交ぜた作戦を講じた。

★「江川の野球はワルツ」

「ピアノ特訓」は、あながち的外れではなかった。

作新学院OBで、2週間だけ野球部に「在籍」した、現フリーアナの染谷恵二。

アール・エフ・ラジオ日本アナウンサー時代、同じ作新出身で、当時阪神ヘッドコーチだった島野育夫(07年12月15日、63歳で死去)から、「作新同士だから、特別に教えてやるよ」と、興味深い秘話を聞いた。

1955年(昭30)、和歌山県生まれ。早大卒。
83年日刊スポーツ新聞社入社。巨人担当で江川番を務め、その後横浜大洋(現DeNA)、遊軍を経て再び巨人担当、野球デスクと15年以上プロ野球を取材。20年に退社し、現在はフリー。
自慢は87年王巨人の初V、94年長嶋巨人の「10・8最終決戦」を番記者として体験したこと。江川卓著「たかが江川 されど江川」(新潮社刊)で共著の1人。