【追憶 江川卓〈12〉】海面まで73メートルの逆さづり…父叫喚「強い子になれ!」

夏が来れば思い出す、江川卓の群像劇。本人がたっぷり語った15回連載を送ります。想像のはるか斜め上をいく、現代ではありえない鉄仮面のルーツ。(2017年4月16日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

昭和の怪物が、令和の怪物を見つめる=2019年6月2日

昭和の怪物が、令和の怪物を見つめる=2019年6月2日

★全国で16基 灯火に登れる

江川の父、二美夫は、息子に懸けた「夢」の実現を見届けた後、自適の余生を送りながら10年6月19日、鬼籍に入った。84歳だった。

父は、江川をプロ野球選手にするべく、計画を練った。

野球環境が整った地区の小、中学校までバスで“越境”通学させ、天竜川の河原で何げなく石投げに興じさせ、甲子園出場と大学進学の両狙いとして、作新入学へ導いた。

その過程で、二美夫が自ら動いたことが、ある。わが子の「気弱さ」を案じてのうえだった。

江川家は、江川が4歳のとき静岡・佐久間町に引っ越すまで福島・いわき市で過ごした。2歳か、3歳のころ、父は、息子を自宅からほど近い、太平洋岸にある塩屋埼灯台に連れていった。

海風をまともに受ける、てっぺんの欄干で父は信じられない行動に出た。

1955年(昭30)、和歌山県生まれ。早大卒。
83年日刊スポーツ新聞社入社。巨人担当で江川番を務め、その後横浜大洋(現DeNA)、遊軍を経て再び巨人担当、野球デスクと15年以上プロ野球を取材。20年に退社し、現在はフリー。
自慢は87年王巨人の初V、94年長嶋巨人の「10・8最終決戦」を番記者として体験したこと。江川卓著「たかが江川 されど江川」(新潮社刊)で共著の1人。