【後編/写真23枚】中日浅尾投手コーチが根尾昂を語り尽くした【来週は本人登場】

田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」、中日浅尾拓也2軍投手コーチ(38)へのインタビュー後編では、根尾昂投手(22=大阪桐蔭)の現状と課題について聞きました。ナゴヤ球場で行われたインタビューの後半で顔を出してくれた根尾のロングインタビューは、12月6、7日に上/下編で公開の予定。どうぞお楽しみに。

プロ野球

一見コワモテでも親身で、人情味もたっぷりの森、近藤コーチに薫陶を受けた。監督を務めた森氏とは、特に長い縁となった

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■「森繁和さん、近藤真一さん」

田村氏どんな指導者になっていきたい?

浅尾コーチそうですね。まあ、あまりその、教えないコーチが一番いいというのは頭の中では分かっているんですけど。2軍にいて、すごい悩める人がいて、正直どうしたらこんなにコントロール悪いんだろうと思う時もあるので。なんか、教えざるを得ないというか。

◆浅尾拓也(あさお・たくや)1984年(昭59)10月22日生まれ、愛知県出身。常滑北―日本福祉大を経て06年大学・社会人ドラフト3巡目で入団。主に勝ちゲームの8回を任され、抑えの岩瀬とともに抜群の安定感を誇った。10年に挙げた47ホールド、59HPはプロ野球記録。通算232HPは歴代3位。11年、中継ぎ投手で初のMVP。18年限りで現役を引退し、現在は中日の2軍投手コーチを務める。182センチ、78キロ。右投げ右打ち。

田村氏ファームだからなあ、教えないと分からないこともあるからなあ。

浅尾コーチ1軍ならば、いい風に考えて、選手が気持ち良く投げてもらえればいいんでしょうけど。教えないコーチが一番いいというのは、1軍にしか通用しないんじゃないかなと。レベルがいろいろあるので。

聞かれるようなコーチになりたいですね。自分にアドバイスを求めてもらえるような。自分から行くのではなくて。「浅尾さん、こういう時どうすればいいですか?」とか。そういうコーチになれれば「ああ信頼されてるんだな」とか。

それを一生懸命やってくれたりとか、まあ、そういう選手も中にはいるので。みんなタイプも違うので、全部が合うとは思わないんですけど、頼られるコーチにはなりたいですね。

田村氏タク、現役の時の投手コーチでこの人みたいに、という人はいる?

浅尾コーチ一番、自分がやりやすかったのは森繁和さん、近藤真一さんでした。ただ、自分がその色を出そうとすると、おかしくなると思うんです。もちろん、今までの自分に対してのイメージもあるだろうし、それをガラッと変えるんじゃなく、素の自分で、何か作っていきたいなという思いはあります。人のまねをしたら絶対勝てないのは分かってますから。

「野手投げ」「必ずケガする」とされた浅尾のフォーム。周囲の声をよそに強い腕の振りで打者を圧倒し、連投も悠々とこなした。個性を伸ばす指導者がいてこそ

「野手投げ」「必ずケガする」とされた浅尾のフォーム。周囲の声をよそに強い腕の振りで打者を圧倒し、連投も悠々とこなした。個性を伸ばす指導者がいてこそ

田村氏参考にしようという気持ちはある?

浅尾コーチはい、もちろん、もちろん、あります。特に多くをしゃべらないとかじゃないんですけど、そういうのもやっぱり、気付かせる、気付かされることもいっぱいあったので。すべてを言うんじゃなくて、気付いてもらえるようにしたりとか、目指していきたいですね。

田村氏トレーニングは変わってきてるの?

浅尾コーチ変わってきましたね、なんかその、根性論じゃないですけど、タイム切れるまでひたすらやるとか、ないですねえ。

本当にやらされてたじゃないですか、落合さんの時は。でも今は、なんか途中で指導する側も「いいよ、これくらいで」という風になっちゃいますし。ただ、高校とか、大学で練習し過ぎて亡くなっちゃった子もいるじゃないですか、そういうこともあるので、なんかやらせづらくなってるというか、なんか、難しいですね。

田村氏結局、タクは肩を壊して引退してしまったんだけど、後悔はなかった?

浅尾コーチ後悔とかしたことないですね、あの、辞めてから1回も。

田村氏輝いていたもんな、あのころ。

浅尾コーチ(笑い)

日刊スポーツの写真データベースには、若かりしころの浅尾がたくさん収納されている。オフショットも豊富で、どれも自然体のいい表情。田村氏をして「輝いていた」も納得

日刊スポーツの写真データベースには、若かりしころの浅尾がたくさん収納されている。オフショットも豊富で、どれも自然体のいい表情。田村氏をして「輝いていた」も納得

田村氏根尾がピッチャーになっただろう。そこはどう見ている?

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。