【夢追人】西武ドラフト5位の宮沢太成は、北大に籍を置いたまま徳島に飛んだ―

西武のドラフト5位、宮沢太成投手(24=四国IL・徳島)が2月6日から始まる宮崎・南郷でのA班春季キャンプに抜てきされました。北大法学部に所属しながら独立リーグからNPB入りした異色の最速155キロ右腕。1月19日のインタビューでも知的な思考の一端を垣間見せつつ、最後には「とある話題」で盛り上がりました。

プロ野球

◆宮沢太成(みやざわ・たいせい)1999年(平11)4月15日、長野県長野市生まれ。長野昭和小3年の時に野球を始める。長野川中島中時代は長野南シニアでプレー。長野高時代は1年秋の県大会4強が最高成績。北大では主将を務めた。四国IL・徳島から23年ドラフト5位で西武に入団。50メートル走6秒2。遠投115メートル。好きな食べ物はラーメン。座右の銘は「目標が日々の生活を支配する」。185センチ、95キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸900万円。

「大丈夫でしたか?」

名門の北海道大学からプロ野球選手が登場した。北大といえば、クラーク博士の名言「ボーイズ・ビー・アンビシャス」。というわけで、宮沢投手のアンビシャスは?

記者が100人いれば100人ともが考えそうな質問にも、宮沢は誠実に答えてくれる。

「プロ野球を目指してきたところも、まさにボーイズ・ビー・アンビシャスといいますか。なかなか周りに野球を続ける人すらいない中でNPBを目指して、大志を抱いてやってきて、大学の名にふさわしいような生活を送ってきたと思いますし。

プロ野球の世界でもその志を忘れずに、最後は絶対的な守護神になる大志を抱いています」

理路整然とし、変に謙虚にもなりすぎない。夢にあふれた若者の、100点満点の回答。実はこれを30分間のインタビューの終盤で聞いたのだが「こんな感じで大丈夫でしたか?」とわざわざ記者にも気をつかってくれる。そんな人だ。

歩んできた道はドラフト候補生の本流ではない。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。