【金子真仁】花咲徳栄の岩井監督に、プロまで送った22選手を語ってもらった/前編

プロ野球キャンプが真っ盛りの2月、多くの球団で〝花が咲く〟―。花咲徳栄(埼玉)出身のプロ野球選手が急増し、15~22年は8年連続(育成指名含む)でドラフト指名がありました。これは全国の高校の歴代最長記録となります。ここまでで22人。昨夏はU18高校日本代表のヘッドコーチも務めた岩井隆監督(54)にお願いしてみました。「22人の思い出、教えてください!」。全3回の前編をお届けします。

高校野球

◆岩井隆(いわい・たかし)1970年(昭45)1月29日生まれ、埼玉県出身。現役時代は内野手。桐光学園(神奈川)から東北福祉大。92年から花咲徳栄のコーチを務め、01年同校監督就任。同年学校史上初の夏の甲子園に導く。甲子園は春5回、夏7回出場し、通算15勝10敗1分け。17年夏に埼玉勢初の全国優勝を経験。初の世界一に輝いた昨年のU18W杯では日本代表のヘッドコーチを務めた。

「もうそんなに?」

富士山が見える学校って日本にいくつあるのだろう。校歌で「富士」が歌われる学校って、いくつあるのだろう。

「うちも見えますよ。ほら、あそこ」

花咲徳栄野球部のグラウンドは西を、正確にいえば西南西を向いている。岩井監督が指を向けたのは、左中間の一端。そこには冠雪した富士の頭が見える。

「望む富士山~♪、ってね」

春夏秋冬を描く4番までの校歌の2番、夏の歌の出だしを口ずさむ。こぶしが効いて、ハートに響くような声色で、実はもう少し続きを聞いていたかった。

埼玉・加須市に校舎がある。加須は「かぞ」と読む。東北自動車道でみちのくから南下すると、栃木県を抜けて利根川を渡って、すぐのところにある。こいのぼりで知られる街だ。

夏校歌の続きには「燃え上がれ校庭」「輝きわたる青春」など活気あるグラウンドの情景が描かれる。17年夏、甲子園優勝。ここから全国の頂点に立った。

5年連続で夏の埼玉を制するなど、特にこの10年で全国クラスの強豪になった。プロ野球選手も一気に増えた。数えると22人。

「え~っ、22人もいるの!? もうそんなに?」

名将が目を丸くする。そこに重きを置いていない。目の前では何十人もの部員が励む。いつの間にか―、なのだろう。

私はなかなか性格が悪い。聞いてみたい。思い切って打診する。

「岩井先生…、よろしければ22人それぞれの思い出、教えてください!」

「思い出かぁ…」

YESともNOとも口にしないけれど、ひとまずNOではない。

「最初は品田選手でしょうか?」

「そう、品田ね」

30年以上の記憶をたどる長い旅が始まった。

■品田操士(91年度卒の投手、近鉄3位。プロ9年間で7勝)

「品田兄、ね。あいつはね、ファーストで入ってきてたの。で、高校1年の冬に稲垣さん(=稲垣人司前監督。岩井監督は当時コーチ)が『おまえ、ピッチャーせい』と。体でかくて肩が強いから。

本人は『ピッチャーは走る練習が多いからイヤだ』って、ちんたらちんたらやっとったんですよ。だけど、稲垣さんが手塩にかけてね、それこそ超英才教育して、スピードがどんどん上がっていって。あれだけのピッチャーに育ったんですよ。

学校としても第1号ですね。兄貴はそんな感じで、弟は…」

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。