【神戸編Ⅰ】西武栗山巧の少年時代…「スタンド・バイ・ミー」をたどる/連載〈24〉

旅が好きです。日本の全市区町村の97・3%を踏破済みです。かけ算の世の中、野球×旅。お気楽に不定期で旅します。題して「野球と旅をこじつける」。第24回は神戸から淡路島へ。来季でプロ24年目を迎える西武栗山巧外野手(41)の少年時代の大冒険を追いかけてみました。

プロ野球

■「いまひとつ僕的に理解できなくて」

栗山と初めて1対1の会話をした時に言われたセリフは、もしかしたら一生忘れないかもしれない。

「うわっ、やーばっ!」

23年春、横浜スタジアム三塁側。技術とハートで2000以上の安打を生み出したバットマンは、立ち会いも強烈だ。

この記事の冒頭に「市区町村到達率97・3%」と書いているが、それをコラムで書いたものを日刊スポーツの元西武担当記者から紹介されて読んだという。

「金子さんですか? 読みましたよ。やーばいっすね。なんでそんなに行ってるんですか? やばっ」

練習が始まりそうだったので後日、なぜ「やばっ」と思ったのかあらためて尋ねた。

「いや、なんでそんなに行ってるんだろって、いまひとつ僕的に理解できなくて。怖い人なんちゃう? って感じました」

背景は一応説明した。それはさておき、あれだけのヒットを積み重ねても〝コレクター〟の意識はあまりないようだ。栗山とは3歳差。ビックリマンシールなども世代的に合うが、少年時代に何かを集めたりは?

「それなりにですよ。その時はお金もないし、お願いしないと買ってもらえない感じじゃないですか。必死こいて何か集めたとかはないですよ。大人になってからですよね。何かを選べるようになるって」

■「友達とチャリで船で行ったんです。淡路島に。ナカノ君って友達と」

普通の子でしたよ―。そう言った。それが西武担当として時間を重ね、5月の母の日、神戸で育った少年時代の思い出を語ってくれた。

「あのへん、グリーンスタジアムができて。今はほっともっとやから、昔の名前ですね。駅1つ隣なので、グリーンスタジアムまでチャリで行って」

あっ、といった表情で「当時、懐かしい思い出があるんですよ」と重ねた。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。