【壷井達也〈下〉】「小さい頃からいるように」中野コーチの教え、21歳で達した新境地

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第25弾では、壷井達也(21=シスメックス)を連載中です。難関国立大学の神戸大学に通う3年生は、昨年12月の全日本選手権で自己ベストとなる合計252・34点の7位と躍動しました。

全3回の下編では、棄権となった2019年の全日本選手権以降をたどります。大学受験へと舵を切った決断。新たな指導陣との出会い。ショートプログラム(SP)最下位から這い上がった今季のNHK杯。その歩みの先には、26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を見据えています。(敬称略)

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「勉強のモチベーションに」目に留まった1冊の本

高校1年の時のこと。

壷井達也は地元の愛知・岡崎市内の書店へと立ち寄った。

いつものようにスポーツコーナーへと向かう。アスリートの自伝やノンフィクションが並ぶ棚を眺めていると、1冊の本が目に留まった。

「スポーツ動作の科学:バイオメカニクスで読み解く」

東京大学出版会の本だった。全13章の構成で280ページ。小難しそうだったが、買ってみることにした。

その年から入学した中京大中京では、一般クラスに在籍していた。勉強にも力を入れるため、スポーツクラスへは進まなかった。

一般クラスは、高校2年から文系と理系に分かれる。本を手に取ったのは、まさに文理選択を控えた時のことだった。

「高校の段階だと、勉強がその先の人生でどうつながるのかが分かりにくいところがあったので、本を読むことにしました。すると、数学や物理がスポーツの動作分析に役立っていると分かりました。高校での学習が研究に生きるというつながりも感じられて、勉強を頑張るモチベーションになりました」

本の内容を理解できた自信はないが、ページをめくった意味は感じた。

将来はスポーツの動作解析を学びたいと思った。2年からは理系クラスを選び、数学や物理の勉強に熱を注いだ。

右足首の負傷に苦しんだのは、ちょうどその時期だった。年末の全日本選手権で患部は限界に達した。本番直前の棄権でシーズンは幕を閉じた。

NHK杯男子フリーで演技する壷井(2023年11月25日撮影)

NHK杯男子フリーで演技する壷井(2023年11月25日撮影)

そこから1カ月。次の目標を見つけるべく、志望校を調べていた。

スポーツの動作解析を学ぶことができる学部はどこか。スケートにも打ち込むことができる環境はどこか。

その条件が重なる大学は、おのずと絞り込まれた。

「最初の時点では、筑波大も候補にありました。でもスケートも続けたいと思ったので、環境的に難しそうだと感じました。他の大学に目を向けた時に、神戸大であればスケートをする環境もあると思ったので、目指そうと思いました」

高校2年の1月。志望校が定まった。

1日10時間の猛勉強も「受験期間楽しかった」

そこからは勉強漬けの日々が始まった。

翌年度からはセンター試験が廃止となり、大学入学共通テストへ移行することとなっていた。特に英語は、読解中心だった問題が見直されることとなり、リーティングとリスニングの配点が同等になると伝えられていた。

まずは英単語帳や英文法書で基礎を固めた。参考書のCDをダウンロードし、通学時にはイヤホンで耳を鍛えた。日々の音読を通じ、読解力のスピードを高めた。

そんな最中を新型コロナウイルスの感染拡大が襲った。

対面授業がなくなり、自宅学習を余儀なくされた。もともとスケートの合間に効率よく勉強を進めていたこともあり、1人で学習することは慣れていた。

「受験期間は意外と楽しかったです。最初は苦しいんですけど、それを乗り越えるとずっと集中してできる状態になっていきました。1日10時間くらいはやっていたと思います」

高校3年のシーズンは、スケートの練習量を週3回程度に落とした。練習時間も1日あたり1時間程度に抑えた。

11月の全日本ジュニア選手権を7位で終えると、そこからは受験に専念した。

全日本ジュニア選手権で演技する壷井(2020年11月22日撮影)

全日本ジュニア選手権で演技する壷井(2020年11月22日撮影)

「そこで1つの区切りにしました。成績がよかったとしても全日本選手権に出るつもりはなかったです。全日本ジュニアの時は公式練習の時から試合までの間もずっと勉強をしていたので、周りからも『受験勉強を頑張ってね』と言われました」

年が明け、2021年になった。

1月中旬の共通テストでは、5教科7科目を受験。新傾向の問題にわずかな戸惑いもあったが、トラブルなく2日間の日程を終えた。

吉報が届いたのは2月中旬。

共通テストの得点と面接・小論文による「総合型選抜」を突破し、神戸大学国際人間科学部の合格をつかんだ。

生まれ育った愛知から西へ200キロ以上。スケートの新天地も、心の中で決まっていた。

「神戸クラブ以外にはないかなと思っていました」

新天地初日、中野コーチの言葉に込み上げた思い

中野園子やグレアム充子らの指導陣とは、かねて交流があった。

「邦和クラブの合宿にも何回か来ていただいていました。僕がダブルアクセルを跳べない時期だったので、中学1年になる頃には中野コーチに声をかけていただいたこともあると記憶しています。坂本選手や三原選手が活躍されていたので、しっかりと指導していただけるのではと思っていました」

3月中旬には当時の所属クラブを介し、神戸クラブへの加入の承諾を得た。

神戸での初めての練習日を忘れることはない。

国民スポーツ大会冬季大会 成年男子フリーの演技を終えて言葉を交わす壷井(左)と中野園子コーチ(2024年1月30日撮影)

国民スポーツ大会冬季大会 成年男子フリーの演技を終えて言葉を交わす壷井(左)と中野園子コーチ(2024年1月30日撮影)

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。