【箱根駅伝story〈20〉立教大】逆境にも諦めず…関口絢太が残した“置き土産”

立教大は1月の第100回箱根駅伝で総合14位となりました。

昨年10月に上野裕一郎前監督(現ひらまつ病院)が解任された中、走りでチームをけん引したのが関口絢太(4年)でした。

前回大会の3区に続く2年連続の出走を果たし、最後の箱根路では10区区間3位と好走。立教大では55年ぶりの復活出場となった第99回大会以降で、区間最高順位を収めました。

4月から高林祐介新監督のもとでスタートを切る後輩たちへ“置き土産”を残し、4月から実業団のSGホールディングスへ進みます。アクシデントにも屈することなく駆け抜けた姿を「箱根駅伝story」としてお届けします。

陸上

10区で区間3位「気持ちがタイムに表れた」

関口は迷うことなく駆けていった。

「とにかくシード権との差を1秒でも縮めることを第一に考えていました」

鶴見中継所から大手町までの23・0キロ。

復路スタート時点で16校が一斉繰り上げスタートとなり、レース中は自チームの順位もよく分からなかったが、ただただ足を前へと運んだ。

「前の走者につく選択はせず、少しでも前にと思って走りました。気持ちがタイムにも表れたのかなと思います」

魂のこもった走りだった。

1時間9分29秒。

区間賞にこそ届かなかったが、区間3位の好タイムだった。第99回大会以降に限れば、立教大では最高の区間順位でもあった。

その1カ月半前は箱根を走る姿を、明確に思い描くことができなかった。

「正直なことを言えば、9割くらいは出ることができないと思っていました」

第100回箱根駅伝で10区を走り、ゴール地点の大手町へ帰ってきた立教大・関口

第100回箱根駅伝で10区を走り、ゴール地点の大手町へ帰ってきた立教大・関口

11月下旬に差し掛かる頃に肺気胸に…

11月下旬へ差し掛かる頃だった。

関口は医師の声に耳を傾けていた。

「1カ月くらいは運動をしないほうがいいかもしれないです」

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。