【激動の1995〈4〉】三洋電機、悲願までの数センチ 杉山篤が届かなかった背中

オールドファンなら記憶に残っている人もいるだろう。95年度の全国社会人大会決勝。終了間際に劇的トライを挙げたサントリーのWTB尾関弘樹を追いかけたのは、プロップの選手だった。あと数センチ-。三洋電機にとっては繰り返された悲劇。連載の第4回は杉山篤を訪ねた。(敬称略)

ラグビー

 

和泉高からラグビー、94年日本代表候補入り

三洋電機時代の杉山(本人提供)

三洋電機時代の杉山(本人提供)

杉山篤(すぎやま・あつし)

1968年(昭43)2月9日、大阪・岸和田市生まれ。中学時代は剣道、和泉高からラグビーを始める。プロップ(3番)。花園出場歴はなし。大阪体育大で頭角を現し、三洋電機へ。94年に日本代表候補入り。同年5月、日本Aとしてテストマッチ扱いではないフィジー戦に出場。全国社会人大会は93年度準優勝、95年度サントリーと両チーム優勝、翌96年度に準優勝。96年度を最後に三洋電機ラグビー部を退部。大阪勤務となり、六甲クラブでプレーし全国クラブ大会で優勝する。

95年度の全国社会人大会決勝。劇的トライを挙げるサントリーのWTB尾関(右)を追いかけた三洋電機のプロップ杉山(サントリー優勝記念誌「美酒」より)

95年度の全国社会人大会決勝。劇的トライを挙げるサントリーのWTB尾関(右)を追いかけた三洋電機のプロップ杉山(サントリー優勝記念誌「美酒」より)

「夢の中では笑っている」目標を追った仲間たち 

今でも夢を見る。

仲間の夢を。

追い続けてきた悲願を達成したのだろうか。

そこには笑顔の仲間がいる。

「みんなが楽しそうに、ラグビーをしてるんよ。

もう亡くなった人もいるんやけどね。

ナモア(WTB)とか、トレーナーの熊谷さんとか。

夢の中では笑っているんです」

かつて、三洋電機とは悲運のチームだった。

何度も壁に跳ね返され、必死に手を伸ばしても届かなかった。

“シルバーコレクター”

それがチームの異名となる。

全国社会人大会で初めて決勝に進んだのは東京三洋時代の1975年。

それから単独優勝を飾るまでに35年もかかる。

何度も、何度も、悔し涙を流してきた男たちが、笑っているというのである。

「何でそんな夢を見るんやろうね。

不思議よなあ」

大阪のJR環状線、京橋駅の近くにある昭和の香りが漂う喫茶店。

アイスコーヒーをゴクリと飲み干しながら、55歳になった杉山は記憶をたどるように遠くを見つめた。

杉山の引退後に後継者となり、三洋スクラムを支えたプロップ松田(右)と。今でも当時のメンバーとは親交が深い(本人提供)

杉山の引退後に後継者となり、三洋スクラムを支えたプロップ松田(右)と。今でも当時のメンバーとは親交が深い(本人提供)

届かない・・・スタンドで見たナモアの悲劇

大阪体育大学4年だった彼は、1人で秩父宮ラグビー場の客席に座っていた。

1991年1月8日、全国社会人大会の決勝戦。

ともにファーストジャージーが赤の両チームは、三洋電機がパールグレー、神戸製鋼が黒のセカンドジャージーで臨んだ。

三洋が16-12と神戸をリードしたまま、後半ロスタイムに入った。

トライがまだ4点だった時代。

空は鉛色で、時折、冷たい風がほおをたたく。今にも雪が降り出しそうな天気だった。

ボールがタッチを割ってもなお、ノーサイドの笛は響かない。

不吉な予感は現実となる。

神戸はバックスが展開。乱れたワンバウンドのパスをセンター(CTB)の平尾誠二がうまく拾った。

1人飛ばしてボールを受けたウイング(WTB)のイアン・ウィリアムスが、右のタッチライン側を走る。

前には誰もいなかった。

追いかけたのは三洋のトンガ出身のWTBワテソニ・ナモアだった。

初優勝への諦めきれない望みをかけて、右手を思い切り伸ばす。

指先が、ウィリアムスの白い襟をかすめた。

次の瞬間-。

背中は遠ざかっていく。

土壇場で神戸製鋼が18-16と逆転し、3連覇を達成した試合。

ウィリアムスは伝説となり、ナモアは悲劇の選手として語り継がれる。

その年の春に三洋への入社が内定していた杉山は1人でその光景を見ていた。

悲鳴とため息、そして大歓声が会場を包み込む。

雑踏をかき分けてスタジアムを出ると、外苑前へと続く道を歩いた。

何とも言えぬ複雑な心境の中で、燃えたぎるような思いが心の片隅にあった。

「神戸を倒したい。

日本一になりたい」

それから5年後-。

まさか自分が“あの背中”を追うことになろうとは。

伸ばした指先がかすめていこうとは。

その時は考えてもいなかった。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。