日馬富士の判断力「マイバッハでもアルファードでも、羽田空港に着く時間は一緒」

70代横綱の日馬富士公平さん(41)は、なぜ実業家としても成功したのでしょうか?

新モンゴル日馬富士学園の理事長として、決断のたびに立ち返る原点があります。

55歳まで必死に働くつもりです。55歳以降の夢についても語ってくれました。(本文は敬称略)

大相撲

◆日馬富士公平(はるまふじ・こうへい)1984年4月14日、モンゴル生まれ。本名はダワーニャム・ビャンバドルジ。日本で活動する際は、日馬富士公平としている。2000年7月、元横綱旭富士の安治川親方がモンゴルで開いた相撲大会に出場し、スカウトされた。同年9月に16歳で来日、安馬のしこ名で01年初場所初土俵。04年春場所新十両、九州場所新入幕。09年初場所から大関昇進を機に「日馬富士」に改名。12年九州場所から70代横綱に昇進。優勝9回、三賞10回(殊勲4回、敢闘1回、技能5回)。通算827勝444敗85休。現役時代は186センチ、137キロ。

師匠選びの大切さ

日馬富士は大相撲で横綱になった。引退後は、小中高一貫校「新モンゴル日馬富士学園」の理事長になった。子供たちに牛乳を飲ませるための牧場も設立した。実は、すべてにおいて「師匠」がいる。その縁を大切につむいで、成功につなげてきた。

「私は相撲のおかげで、たくさんの方々とお会いできる縁をいただきました。新モンゴル日馬富士学園もガルバドラッハ先生が支えてくれた。ファームもそうです。私の兄弟分がいろんなことを調べてくれたり、ビジネスモデルを考えてくれた。十勝しんむら牧場の新村浩隆さんにもお世話になりました。私1人では何もできません。お世話になった人たちにも恩返ししたいと思って、一生懸命頑張っています」

九州場所の番付を手にする新横綱日馬富士(右)と伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)(2012年10月29日撮影)

九州場所の番付を手にする新横綱日馬富士(右)と伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)(2012年10月29日撮影)

師匠の存在が、いかに大切か。それは大相撲で痛感した。

「私は運命的に親方とおかみさんに出会って、すごくラッキーだった。Z世代や、これからの子供たちは、僕たちとは考え方も生き方も違いますが、何でも自由に調べたり、聞いたりできる。自分がどの人を師匠にするのかは選べます。会社もそう。会社のビジョン、夢をしっかりと把握し、入った以上は同じ気持ちで頑張ってほしいなと、私は思います。入った後に疑ったり、言うことを聞かなかったりするのは違う。強くならない。それは相撲道で学んだことなんです」

ビジネスマンとしての判断力も、相撲で鍛えられたと自認している。

「アスリートは判断力がすごく鍛えられていると思うんですよ。例えばバスケットボール。『今、パスしていいですか?』なんて聞かないじゃないですか。毎日の練習で判断力が身についているはずなので」

生徒のために何が大事か

日馬富士も迷うことはあるが、そんな時はこう考える。

「一番は生徒たちにとって、何が大事なのか。これを考えます。そうすると、判断に間違いがないんですよね。一番得をする人は生徒なんですよ。私や先生たちではありません。

自分の利益を考えてお金持ちになった人って、少ないんですよね。私も最初は欲がありました。でも、相撲道のおかげで、20代で望む人生を送れました。だから今、名誉やお金という欲はあんまりないんですよ。

20代のころは、マイバッハに乗りたい、ベンツに乗りたいと思っていました。でもマイバッハでもアルファードでも、羽田空港に着く時間は一緒なんです。高い腕時計を着けても、アップルウオッチを着けても、同じ時間をさします。2時10分は、2時10分だもん。ロレックスを着けたからといって、2時になるわけではないんです」

それでも日馬富士は「私も成功しているわけではないので」と言う。事業のための借金もある。

伊勢ケ浜親方(右)の指導で土俵入りの稽古をする日馬富士(2012年9月27日撮影)

伊勢ケ浜親方(右)の指導で土俵入りの稽古をする日馬富士(2012年9月27日撮影)

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。特別編集委員室所属。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。