大の里が尾崎豊を歌った3連敗の夜 僕が僕であるために…/力士と音楽(1)

横綱大の里(25=二所ノ関)は、初場所で苦戦しました。中日8日目から10日目にかけて3連敗―。

その夜、大の里は尾崎豊の「僕が僕であるために」を歌いました。すると翌日から、吹っ切れたように相撲を取り始めました。

なぜ尾崎だったのでしょうか。あの夜のことを語ってくれました。

新シリーズ「力士と音楽」は、力士が音楽から得た力などを掘り下げます。

大相撲

この記事に書いてあること

  • なぜ尾崎豊を歌ったのか
  • 場所中に飲む気になった理由
  • 3連敗にも折れなかった心
  • 二所ノ関親方の考え

「厳しい状況だったんで…」

大の里は入門以来、負け越したことがない。

2026年初場所も終わってみれば10勝5敗と2桁勝利を挙げた。千秋楽を迎えた時点では、優勝の可能性も残っていた。だが、最も苦しんだ本場所であったことは間違いない。

1月25日、ホテル日航つくば別館1階の「昴の間」。二所ノ関部屋の千秋楽祝賀会が行われた。

大の里は集まった人たちに向けて、あいさつした。日ごろの支援への感謝を述べ、3連敗した夜のことを明かした。珍しく酒を飲み、尾崎豊の「僕が僕であるために」を歌い、翌日から吹っ切れたこと…。そして、春場所で優勝することを誓い、締めくくった。

どれだけ追い込まれていたのかが、心に伝わってくるスピーチだった。

もうちょっと詳しく聞きたいと思った。

なぜ酒を飲んだのか。なぜ尾崎なのか。どういうシチュエーションだったのか。翌日からの激変に、どう影響したのか。

横綱昇進披露宴であいさつする大の里(2026年2月14日撮影)

横綱昇進披露宴であいさつする大の里(2026年2月14日撮影)

後日、大の里に話を聞いた。

―あのスピーチは、どういう気持ちで伝えたのでしょうか

「もうほんとに…厳しい状況だったんで、どうなるかなと思ったんですけど、ああやってしっかり勝ち越して、横綱として合格点じゃないと思うんすけど、一応、苦しい状態で2桁に届いたってのは大きいのかなって思いますね。で、それで、ああいう話をして、また次の時に頑張りますという言葉にしました」

伯乃富士(左)の寄りに苦しそうな表情を見せる大の里(2026年1月18日撮影)

伯乃富士(左)の寄りに苦しそうな表情を見せる大の里(2026年1月18日撮影)

厳しい状況―。確かに厳しかった。

昨年11月の九州場所13日目、安青錦戦で左肩を痛めた。優勝争いのトップに並んでいたが、「左肩鎖関節脱臼で1カ月間の安静加療を要する」との診断書を提出し、千秋楽を休場した。

2025年九州場所13日目、寄り切りで安青錦(左)を下した大の里(2025年11月21日撮影)

2025年九州場所13日目、寄り切りで安青錦(左)を下した大の里(2025年11月21日撮影)

場所後の冬巡業は全休した。

初場所は初日から出場したが、万全とは言えなかった。3日目の宇良戦は取り直しの末に勝った。4日目は義ノ富士に金星を配給した。7日目は大栄翔に勝ったものの、「勝ちを拾っている部分がある」と正直に言った。

すると8日目から3連敗した。

宇良と大の里の一番は物言いが付き同体で取り直しとなる(2026年1月13日撮影)

宇良と大の里の一番は物言いが付き同体で取り直しとなる(2026年1月13日撮影)

▽8日目 天覧相撲で伯乃富士に押し出され、金星を配給。

▽9日目 若元春に左差しを許し、寄り切られて連敗。

▽10日目 熱海富士と投げの打ち合いになり、軍配を受けたが物言いがつき、取り直し。今度は土俵際でいなされ、体が泳いだところを押し出された。3連敗は2年ぶりとなる自己ワーストタイ記録だった。

10日目を終え6勝4敗。私は休場すべきではないかと感じていた。

そんな夜の話だ。

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。特別編集委員室所属。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。