浅井康太(31=三重)が感涙のKEIRINグランプリ(GP)戴冠を果たした。俊敏に立ち回り、武田豊樹の番手からまくった平原康多をかわして悲願達成。三重県に初めてGPのタイトルをもたらした。11年9月のオールスターから遠ざかっていたタイトルを手にして初の賞金王に輝いた。

 泣くまいと思っていたけど、こらえられなかった。Vゴールの瞬間、笑顔でガッツポーズした浅井康太だったが、敢闘門に戻って小西誠也日本競輪選手会三重支部長代行と抱き合った後は涙が止まらなかった。「競輪選手に導いてくれたおやじ(和彦さん=享年48)への思いがよぎって…」。おえつが止まらないまま控室へ導かれていった。

 優勝の予感めいたものはあった。今月17日のGP前夜祭の前、いつものように四日市競輪場で練習をしていた浅井は「佐世保G3(1、8、8着で途中欠場)の感触がすごくよかったし、出来はいいと思う。1回、賞金王になってみたい。勝ったとき何を言おうか考えることもある」と自信満々の笑顔で話していた。

 今回、過去のGPで連係をしてきた盟友・深谷知広が不在だったこともプラスに考えた。「前の仕掛けを待つことなく、思ったときに踏み込める」。その言葉通り、最終バック手前でインを突いて関東3番手を確保。武田豊樹マークから自力に変化した平原康多を追って、ゴール前で楽々と差し切った。

 03年、同じ6番車でGPを制した山田裕仁氏(引退)をイメージしていた浅井。現役時代から、そして今節も山田氏にアドバイスをもらった。共同会見では山田氏、ヤマコウ、加藤慎平ら過去のGPウイナーに感謝を表した。

 その先輩たちにはときに理不尽な要求もされた。しかし「そのときは厳しいなと思ったけど、後になって自分のために言ってくれていたことがわかった。もっと後に生まれていたら、(GP優勝も)なかったかも」としんみり話した。

 かつては夢だったGP優勝を現実のものにした浅井は来年、王者の証し「1番車」をまとって受けて立つ身になる。それでも「何でもやって、またこの場に帰ってくる」と力強く話した。【村上正洋】

 ◆浅井康太(あさい・こうた)1984年(昭59)6月22日、三重県四日市市生まれ。県立朝明高卒。競輪学校90期生で在校成績は10位。05年7月松阪でデビュー。11年7月寬仁親王牌でG1初制覇、同年9月にオールスターも制した。通算810戦254勝。通算獲得賞金は6億9025万1933円。179センチ、75キロ。血液型O。