夢のような気分は、時間がたっても収まらない。日本がドイツに勝った。それも見事な逆転勝ち。もちろん、勝って欲しいと願ったが、正直押されまくりながも粘って、ワンチャンスを生かして1-0かなとも思っていた。それが、まさか…、まさか…、まさか…。

前半、日本は何もできなかった。ほとんどハーフコートマッチ。予想していた以上の力の差にがくぜんとなった。「まだレベルが違いすぎる」とさえ思った。しかし、後半は一変。チャンスを作り続け、ドイツをゴール前に押し込んだ。前日、サウジアラビアがアルゼンチンに逆転勝ちしたのと同じ展開。しかし、世界に与えた衝撃はそれ以上だ。

堂安、浅野、素晴らしいゴールだった。権田も好セーブを連発した。そして、森保監督。ここまでのすべてが「伏線」だったと思えるような見事な采配。興奮はまだまだ続いている。

日本サッカーの歴史において、ドイツは特別だ。クラマー氏の指導でメキシコ五輪銅メダル、同氏の提言で全国リーグを創設し、指導者養成を制度化した。さらに奥寺康彦のブンデスリーガでの活躍…、すべてドイツ(西ドイツ)だった。

初めて生中継で見たW杯は、74年西ドイツ大会。皇帝ベッケンバウアーらが決勝で下馬評を覆してオランダを下し、地元優勝を果たした。初めて現地で見たW杯は82年スペイン大会。準決勝のフランス戦は、延長1-3から追いついてPK戦を制した。初めて現地取材した90年イタリア大会でも、マラドーナのアルゼンチンを破って優勝した。

常に「負けないドイツ」を見てきた。どんなに厳しい状況も強い精神力ではねのけた。日本独特らしいが「ゲルマン魂」という言葉がピタリ。イングランド代表FWリネカーは「サッカーはシンプル。22人が90分間ボールを追って、最後はドイツが勝つ」。世界中が深くうなずく名言だった。

特に自分のようなアラ還世代のファンには、ドイツは特別な存在だ。70、80年代、ブンデスリーガは「世界最高峰」と言われ、伝説的なテレビ番組「ダイヤモンドサッカー」でも紹介された。「勝つこと」に固執し、クライフやプラティニを葬ったから、嫌われ役でもあった。ドイツファンも多いが「アンチ」も多い。だからこそ、ドイツは日本人にとって特別なのだ。

74年W杯の後、西ドイツ代表が来日するという話があった。当時日本代表が対戦する代表はアジアがほとんど、欧州や南米の相手はクラブチーム。結果的に75年1月に来日したのはBミュンヘンだったが、国立競技場でベッケンバウアーやミュラー、マイヤーらのプレーに目を輝かせた。

後年、日本協会会長の岡野俊一郎氏に「本当はドイツ代表が来るはずだった」と聞いた。低迷を続ける日本サッカーの起爆剤にと招聘(しょうへい)を企画。一度は了承されたが「さすがに日本代表とは(レベルが違いすぎて)難しい」と断られ、Bミュンヘンになったという。

「幻のドイツ代表戦」から47年、ジーコ監督時代に親善試合で2試合対戦したが、真剣勝負は今回が初。怖い気持ちさえあったが、そんなオールドファンの思いを、若い選手たちが吹き飛ばしてくれた。「最後に勝つ」ドイツ相手に、最後に勝った日本代表。興奮はまだ収まっていない。

日本戦を前に盛り上がるドイツサポーター(共同)
日本戦を前に盛り上がるドイツサポーター(共同)
ドイツ戦を待つ日本サポーター(共同)
ドイツ戦を待つ日本サポーター(共同)