サッカーの祝祭には、聖地アステカが似合う。W杯開幕戦が行われた「メキシコシティースタジアム」は、1970年、86年のメキシコ大会でもメイン会場として使用され、数々の名勝負を生んだ場所だ。

古代文明の地。かつて世界最大規模の10万人超を収容し「アステカスタジアム」と呼ばれた。70年準決勝でイタリアと西ドイツが延長戦の末に4-3と打ち合った「アステカの死闘」。決勝では王様ペレのブラジルがイタリアを4-1と下し、最初に3度目の優勝を果たした国として「ジュール・リメ杯」を永久保持することとなった。ピッチに乱入してきたファンに担がれ、上半身裸で歓喜するペレの姿は印象的だった。

86年6月、W杯メキシコ大会で優勝し、ワールドカップトロフィーを掲げるアルゼンチンのマラドーナ(ロイター)
86年6月、W杯メキシコ大会で優勝し、ワールドカップトロフィーを掲げるアルゼンチンのマラドーナ(ロイター)

86年には神の子マラドーナが降臨した。準々決勝ではイングランドを相手に「神の手」で先制点を挙げると、続けて「5人抜きゴール」で追加点を挙げた。82年のフォークランド紛争で英国に屈したアルゼンチンの国民たちは、マラドーナの大活躍に留飲を下げた。続く決勝では西ドイツを相手にマラドーナが絶妙なスルーパスをブルチャガに通し、3-2と勝利。母国に世界一をもたらし、黄金のトロフィーにキスをした。

さらに言えば、日本人にも馴染みが深い。1968年(昭43)のメキシコ五輪の3位決定戦で、エース釜本邦茂の2得点で地元メキシコを下し、銅メダルに輝いた。日本サッカー史に刻まれる「アステカの奇跡」もこの場所だった。

北中米3カ国の共催だが、メキシコにオープニングゲームを持ってきた演出は素晴らしかった。アステカでのW杯は、メキシコ国民にも特別な感情を与えたようだ。メキシコのアギーレ監督は開幕戦の後に「ここは過酷で特別な場所なんだ。このスタジアムに来ると選手たちは“うわーぁ”と声を上げる。とても強い感情が沸き上がる」。「メヒコ、メヒコ」と連呼された中、2点目を決めたR・ヒメネスは涙ぐんだ。亡くなった父に思いをはせ、感傷的になったのだという。

人とは、思い出とともに生きている。過去と今をつなぐスタジアムの風景は懐かしい昔日の記憶を呼び覚まし、心を揺さぶる。サッカーを通して自らの人生を振り返る一端ともいえよう。4年毎のこの祝祭から、人々は生きる喜びさえ感じているように思う。

W杯開会式の「アステカスタジアム」(ロイター)
W杯開会式の「アステカスタジアム」(ロイター)

前回開催からはや40年が経った。それでも過去を彩った美しい記憶は風化することがない。鬼籍に入った「アステカの太陽神」たちも空から見守っているに違いない。W杯がまた帰ってきた、と。【佐藤隆志】