1994年(平6)1月23日、当時25歳でサンフレッチェ広島と日本代表の守護神だった、前川和也さんが広島市内で挙式した。広島担当だった記者は、その門出を取材していた。1学年下の同僚の「二人三脚で頑張って」という談話も記事にした。

あれから27年。あの祝辞を述べた人物が、今の日本代表森保一監督。広島の誇った“前川、森保、高木琢也”の代表3羽がらすは、前川さんの挙式の前年、ワールドカップ(W杯)アジア最終予選でドーハの悲劇を体験していた。

前川夫妻に当時、まだ生まれていなかった長男黛也(だいや)が今回、森保監督に指名されて初めて日本代表に入った。ヴィッセル神戸所属の26歳、父親の前川さんと同じGKだ。過去に世代別の代表入りさえなかった無名が、サプライズ抜てきされた。

結果的には3月25日の親善試合韓国戦、30日のW杯アジア2次予選モンゴル戦ともに、黛也の出番はなかった。国際Aマッチ17試合の実績があるとはいえ、代表では2番手の存在を長く務めた前川さんが一番、出場することの難しさを分かっていた。

「日韓戦は伝統の一戦、モンゴル戦はW杯予選。よほどのことがない限り、出番がないのは分かってましたよ」と穏やかに話す父。実際にモンゴル戦の夜、前川さんは生中継するテレビも見ていなかった。現在は広島・福山市に拠点を置くサッカークラブの指導で忙しかったという。

ただ、前川さんを取材してきた記者にとって、黛也のたどる人生は感慨深い。今回の代表で指導されたのは、父の元同僚の森保監督であり、黛也の広島皆実高の大先輩になる下田崇GKコーチ。そもそもの話をすれば、全国的に無名だった関大時代の黛也に目を付けたのが、神戸の幸田将和スカウト。前川さんの広島時代の2学年後輩のMFだった。

そんな縁以上に感じるのが、厳しいプロの世界を生き抜く、前川父子のそっくりな姿。前川さんは現役時代、膝の故障やミスを不屈の精神で乗り越えた。「前川の息子」と過度に注目されてきた黛也も、努力で重圧をはねのけ、最近は足元の技術を劇的に高めた。神戸の幸田スカウトは言っていた。

「うちが黛也を獲得したのは、前川さんの息子だからではない。努力家で伸びる要素しかなかった」

Jリーグ発足後、父子で日本代表になったのは今回が初めて。黛也の191センチの長身や1対1を怖がらないのは父譲りだが、顔の雰囲気や瞬発力は、広島商時代に卓球でインターハイに出場した母志穂さん譲り。黛也という命名は、母が生まれた4月の誕生石がダイヤモンドだから。「輝いてほしい」という両親の願いはかないつつある。

黛也は今回の代表活動を終え、SNSで「みなさん、次は必ずピッチで表現するね。さあ、また新たなチャレンジ」と、初出場への意欲をつづった。父がドーハの悲劇を味わったカタールで開かれる22年W杯へ、黛也は今春、堂々の有資格者になった。【横田和幸】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」