<高校サッカー:富山第一2-2(5PK3)四日市中央工>◇準決勝◇11日◇国立

 富山第一は「PK職人」GK田子真太郎(3年)の活躍で、四日市中央工(三重)を振り切った。決勝は星稜(石川)と史上初の北陸対決となった。

 富山第一の「火消し役」GK田子が、北信越勢初の国立勝利に導いた。2-2で迎えた後半終了間際。PK戦を想定し、大塚監督から声がかかった。「信頼しとるから頼むぞ」。1本目、2本目と、止められなかったがシュートコースに跳んだ。迎えた3本目。「ボールを置いた瞬間、ビビッと感じた」。左へ飛び込み、セーブ。ピッチにひざまずき、歓喜の雄たけびを上げる。「絶対俺が止めてヒーローになろうと思っていた」。「PK職人」と呼ばれる男の面目躍如だった。

 小5からGK一筋。高2の春に左膝半月板を損傷し、手術を受けた。定位置は後輩の高橋に譲ったが、勘や読みの良さを買われて昨夏の総体からPK専門になった。実際にPK戦は初めてだったが「このために準備してきた」。ドイツの強豪Bミュンヘンの名手、ノイヤーの動画から学んだ。「前に出る積極性、攻撃的な意識」を生かし、相手を威圧。重圧のかかる場面で、大仕事をやってのけた。

 中1の時、下校中に火事現場に遭遇した。そこで決死の消火活動を行う消防隊の姿に憧れた。「体を張って現場の最前線で働く姿がすごい」。自身も今春から消防士になる。自宅から2時間かけて通う田子は「富山第一でサッカーができたのも両親のおかげ。今日の活躍が一番の親孝行」と笑った。地元から声援を送る両親に「早く報告したいけど、まだ1試合ある」。北信越勢初の快挙のため、仕事人はまた“火事場”に備える。【桑原亮】

 ◆田子真太郎(たご・しんたろう)1995年(平7)10月11日、富山県出身。中学時代はヴァリエンテ富山。183センチ、75キロ。家族は両親、妹。血液型B。

 ◆私立富山第一高校

 1959年(昭34)4月、富山市に学校法人金沢高等学校富山第一として設立。3年後に「富山第一」として独立する。サッカー部は1960年創部。主なOBは、柳沢敦(仙台)西野泰正(讃岐)中島裕希(山形)。野球部、ラグビー部、男子バスケットボール部、女子バレーボール部も盛ん。住所は富山市向新庄町5の1の54。本吉達也校長。生徒数1135人。