自分たちを信じろ!-。ワールドカップロシア大会の代表メンバー発表が近づく中、前回大会で日本を率いたアルベルト・ザッケローニ元監督(65)から熱いメッセージが届いた。日本を4年近く離れても日本を愛し、教え子たちを見守っている。現在はUAE代表監督を務める同氏がインタビューで、現代表への思いや4年前の代表選考を語った。【取材=波平千種通信員】

 アジアのライバルUAEの指揮官になっても、ザッケローニ氏は「日本との結びつきを非常に強く感じている」と言う。時間があればW杯ロシア大会に行き、日本戦を見るつもり。「できるだけ勝ち進んでほしい」と願う。「日本の試合は常に気にしている。日本が敗れたウクライナはW杯に出なくとも強力なチームだ」と3月の親善試合を持ち出し、必要以上に悲観するなと言いたげだ。

 W杯1次リーグの対戦相手について尋ねると、「再びコロンビアと対戦する。だが、相手のことはあまり考えずに、自分たちの力を信じて試合に臨むことが大事だ」と即答した。「日本のレベルは上がっている。相手を心配することは無用。自分たちができることをピッチですべて出すことだ」と言い切った。

 3月のマリ戦で苦しみ、身体能力の高いセネガルへの対応に不安を残したことにも「反対に日本はより技術に優れているし、持久力がある」とプラス材料を強調した。「自分たちの特徴をうまく出すべき。それはよくまとまり、団結している点だ。他のチームは個人技重視だ。日本はチーム一丸となって戦う。だから、自分たちのプレーに集中し、相手のことは考えすぎない方がいい」。

 では、日本代表のキーマンは誰になるのか?

 「それに答えるのは難しい。4年前も試合を1人で解決できるようなキーマンが現れることが期待されたが、日本にはそういう選手は現れないだろう。日本の強さはチームプレー。キーマンを探そうとしても意味がないことだ」。あくまでチームで戦え、とする。

 メンバー選考は最終局面に近づいている。本田や岡崎ら中ぶらりんな選手もいる。これには「本田は以前(クラブで)試合に出ていなかったので(ハリルホジッチ前監督に)呼ばれない時期があったのだろう。間違いなくコンディションがよく、試合に継続して出ていれば、W杯に招集される」とみている。

 4年前の自身の決断を振り返る。

 「最も重視したのは選手のコンディションと試合に出ていること。例えば大久保をそれ以前は代表に呼ばなかったが、W杯メンバーに選んだ。彼のプレーはよく知っていたので、W杯前に呼ぶ必要はなく、最後に呼ぶことにした。その前に他の選手を見たかったからだ。同じ理由で本田をW杯前に必ずしも呼ぶ必要はない。本田のコンディションがよければOK。最近はクラブで活躍している」

 14年5月、ザッケローニ氏は23人のW杯メンバーを発表。「ザック日本」でわずか出場1試合の大久保嘉人を2年3カ月ぶりに招集した。一方で切り捨てる悩みは付きものだ。「W杯出場に値する選手を呼べないのは苦しかった。しかし人数は決まっている。細貝(萌)や前田(遼一)らを呼べず、残念だった。でもあの時点でコンディションがいい選手を選んだのだ」。

 この4年間で日本は成長したかという質問には、少し言葉を詰まらせ、答えた。「私に言わせてもらえば、私が指揮していた日本代表が最も気に入っていた。今でも当時の映像をよく見返す。私はあの私の日本をまだ愛しているんだ。あの日本はW杯までに非常にいい結果を出したし、W杯でもっと上に行けるチームだった。その力を備えていた」と言葉に力がこもった。

 当時の選手とは連絡を取っていないという。「そういうことは好きではない。他の監督が指導している選手を邪魔したくはないから」と一線を引く。「でも情報は得ている。私が選んだ選手の活躍を知るとうれしい。もっと多くの選手が欧州でプレーできたと思う。例えば山口(蛍)は欧州で十分にやっていけたはずだ」。自身も16年に北京国安(中国)を指揮した際に何人かの選手を連れていこうとし「本人かクラブの考えか分からないが、実現しなかった」。

 昨年10月にUAE代表監督に就任、来年1月開幕のアジア杯は地元開催だけに期待がかかる。「日本と対戦しないように祈っている。対戦することはすてきなことだが、今のところ日本の方が強いからね。アジア杯が終わったら、バカンスで日本に行きたいと思っている」と笑った。

 ドバイでも和食を食べに行くという。「問題は料理人が日本人でないところが多いことだ。和食がおいしいのは、作る人が情熱を入れ込むから。私の仕事と同じ。何でも情熱を持って臨めばうまくいく。私は情熱を注ぎ込んで日本を指揮したし、選手も情熱を持ってついてきてくれた」と、プライドと日本への愛情がまたにじんだ。

 ◆アルベルト・ザッケローニ 1953年4月1日、イタリア生まれ。若くして選手を引退し、30歳でセリエCで監督になり、その後ラツィオ、インテルミラノ、ユベントスなど強豪を率いる。98-99年ACミランでセリエA優勝。10年9月から日本代表を指揮、14年W杯をもって退任。16年1~5月に北京国安(中国)を指揮した。17年10月からUAE代表監督