日本代表の岡田武史監督(51)が「脱オシム」を宣言した。28日、東京・文京区のJFAハウスで代表スタッフ会議を開き、コーチらに新たな指導方針を伝えた。オシム前監督(66)が脳梗塞(こうそく)で倒れ、昨年12月に就任した岡田監督は、調整時間不足を理由に前任者のやり方で我慢してきたという。しかし就任7戦目のW杯アジア3次予選のバーレーン戦(26日、0-1)で負けたことで軌道修正。マンマークからゾーンDFに切り替えるなどの「オレ流」を打ち出した。

 バーレーンに敗れて目が覚めた?

 岡田監督が、オシム前監督に影響されず、自分のやり方を通すことを明言した。

 岡田監督

 オレになってすぐ公式戦の予選(2月6日、タイ戦)だったから、いろんなことを変えるのはリスクが大きかった。今までを踏襲してやってきた部分が多い。我慢してきたこともあるけど、これからはオレのやり方でやっていく。戦術を含めてトレーニングの組み立てとか、口で説明すれば2時間はかかるから言わないけどね。

 岡田監督は、自分の色を出す時期をW杯アジア最終予選の前(5月)と決めていた。欧州リーグが終わり、ベストメンバーが組める時期で、ある程度長期合宿も組めるからだ。しかし3次予選2組2位に転落し、バーレーン戦の内容の悪さなどから、方向転換した。「時間も空くし、3次予選が終わってからと思っていたけど、甘かった。(バーレーン戦の)おかげで吹っ切れたよ。下手に引き分けるより良かったと思う」と、気持ちを切り替えた。

 選考基準、練習方法などチームを一新する考えだが、改革の具体案を例として1つだけ挙げた。「以前は人に付くようなDFをしていたけど、オレは本来やってない。組織的に守る」とだけ明かした。オシム体制の「マンマーク」主体の守備から「ゾーンプレスのマーク受け渡し」に変更する。

 “岡田色”は就任直後に「接近、展開、連続」を打ち出し、これは今後も継続するという。しかし東アジア選手権、今回の中東遠征と、かなりの時間がありながら、そのやり方をイレブンに浸透させることはできず、大事な試合で初黒星を喫してしまった。

 就任して約3カ月。「オレ流宣言」をしたことで、今後言い訳は許されない。雑音を吹っ飛ばすには、勝ち点3で並んだオマーン戦(6月2日)で『勝利』の2文字をつかむしかない。【盧載鎭】