6大会連続の五輪出場を狙う日本が北朝鮮を1-0で下し、白星発進した。16チームが参加し、3枚のリオ五輪切符を争う大会の初戦。前半5分に右CKからDF植田直通(21=鹿島)が決めて先制し、後半は劣勢の時間帯が続いたが、無失点で切り抜けた。過去の世代別代表で2度敗れた因縁の相手にリベンジし、各組上位2チームが進出する準々決勝に前進した。16日にタイ、19日にはサウジアラビアと対戦する。

 運命の初戦はDF植田の一撃で幕を開けた。開始わずか5分、DF山中の右CK。カーブを描いたボールが届いたファーサイドにノーマークの植田がいた。右足で力を抜き、確実なボレーでゴールに突き刺す。「初戦は硬い試合になると分かっていたので、セットプレーを狙っていた」。小学6年まで続けたテコンドーで日本一、世界3位になった時の武器だった右足で、先制点を蹴り込んだ。

 手倉森ジャパンの出場時間1位で最も信頼される男が、代表初ゴールで応えた。足での得点はプロ入り後初めて。186センチの長身で空中戦のイメージも強いが「右足、自信あるんすよ」と好機を待っていた。「サッカーをかじり出した」という小学生の時、昼間にリフティングを始め、気付いたら真夜中になっていた。「1000回やろうと思って。家訓が『植田家に生まれたからには負けるな』なんで」。子供のころから鍛錬してきた足で得点をねじ込んだ。

 10年のU-16選手権、14年のU-19選手権で敗れた北朝鮮に、3度目の敗北を喫するわけにはいかなかった。パワフルな攻撃に劣勢となる場面も、ことごとく立ちはだかった。「僕がはね返すしかないというぐらいの気持ちでやっていた」。押し込まれた後半16分からの約5分間に4度のクリアでピンチを救った。混戦でも恐れはなく、頭から飛び込んだ。

 肉弾戦でも当たり負けない。筋肉量や体脂肪率、LMI(筋肉指数)など6項目で測る「体組成テスト」の数値はU-23代表NO・1。A代表の平均値すら超えている肉体で、攻守に躍動。そんな鋼の肉体に、一本気な性格が宿っている。オフに神戸から獲得オファーを受けた。ネルシーニョ監督からテレビ電話で口説かれ「すごく評価してくれて迷ったけど、鹿島で試合に出たかった」。昨季途中に鹿島で失った定位置を取り戻すことが「リオ五輪へ、最も成長につながる」と信じたからだった。

 「まだ改善する部分はたくさんある。中2日あるので改善して臨みたい」。大きな勝利の立役者は、満足することなく次に目を向けた。【木下淳】

 ◆植田直通(うえだ・なおみち)1994年(平6)10月24日、熊本・宇土市生まれ。大津高-鹿島。13年3月23日、ナビスコ杯第2節東京戦でプロデビュー。14年3月1日、J1開幕戦の甲府戦でJリーグ初出場。11年にU-17W杯出場、12年にU-19アジア選手権、14年にはU-22アジア選手権に出場。15年1月のアジア杯でA代表初選出。国際Aマッチ出場なし。186センチ、77キロ。

 ◆日本の過去の五輪アジア最終予選初戦 本大会の出場が23歳以下に限定された92年のバルセロナ五輪以降、通算3勝2分け1敗。その1敗は予選で敗退した92年のバルセロナ五輪。引き分け以上だった96年のアトランタ五輪以降の5大会はすべて本大会出場を決めている。00年のシドニー五輪以降に限れば、初戦は4大会連続無失点。