川崎フロンターレの連覇に貢献したFW小林悠(31)が手記を寄せた。左眼窩(がんか)底骨折で「優勝決定日」のピッチには立てなかったが、昨季の得点王は3年連続で15得点以上を挙げてけん引。エースが優勝までの道程で抱いた思いを独白した。

  ◇  ◇  ◇

シーズン通してみんながてっぺんを目指してやってきた結果です。主将マークを(DF谷口から)渡された時は、うるっときました。シャーレは重みがありましたし、最高の気分でした。連覇はうれしいですが、今年はもっとタイトルを取りたかったのが正直な気持ちです。他のタイトルの可能性がなくなった今、リーグの連覇は最低限の目標でした。

個人の話では、得点はもっと取れたかなと…。やはり、苦しかった時期はPKを2本続けて外した時ですね(9月26日湘南戦、10月7日鹿島戦)。メンタル的にやられていました。ちょうどそのタイミングで、子供の幼稚園のバスの見送りの時、嘉人さん(現磐田FW大久保嘉人)が車で通ったんです。メールで「PKを2本止められたんですけど、嘉人さんなら蹴りますか?」と送りました。ストライカーとしての責任感、感覚は、嘉人さんが一番分かっていると思って。そうしたら「絶対に蹴るよ。PKなんて運なんだから。悠が蹴らないとチームも乗らないし、絶対に蹴った方がいい」と返事をくれました。蹴られなくなるのが一番良くないと思っていた中、嘉人さんに背中を押してもらえたのは大きかった。

神戸戦(10月20日)でPKの場面が来た時、蹴ろうと思っていました。試合前、オニさん(鬼木監督)が「変なプレッシャーを感じて蹴るぐらいなら、アキ(家長)と相談して決めろ」と言ってくれて、アキくんが「フロンターレのエースはお前だから」と譲ってくれた。去年から、みんながボールを集めてくれて、自分が決めるという役割をしている中、そこを信じて蹴らしてくれたのはうれしかった。こうして乗り越えられたのは、自分としても選手としても成長できたかなと思います。

今年は15得点で、来年はもっと取りたいという気持ちはありますが、安定して15点以上取れるようになってきたのは自分の力がついてきたのかなと。個人の目標として今年は「得点王」「全試合出場」「W杯」と書いて、朝着替えるクローゼットの壁に貼ったのですが、全部できなかった…。まあ、ほとんど毎年できないんで(笑い)。W杯の前にけがをして、出られなかったのは悔しかったですけど、けがは軽症だったので。けがで一番苦しかったのは15年。肉離れ3回と膝の手術をした年です。でも家族が支えてくれて、奥さんが自分の分も泣いて支えてくれた。泣く時は2人で泣いて「次の日からは前を向こう」という家族で、すごく助かってます。

今年のキャンプでは「フロンターレを常勝軍団にしたい」とみんなの前で言いました。1回タイトルを取っただけでなく連覇して、どんどんタイトルを取っていくチームにしたいと。去年タイトルを取ったことで、今年は本当にみんなが成長したと感じました。僕だけでなく、優勝を経験したメンバーが何の気負いもなく日常で試合を迎えることができている。首位に立った時、ちょっと余裕が出る選手がいるかな、と心配したのですが、全くそんなことはなかった。

日本代表の合宿で一緒になった選手から「いいサッカーをしているフロンターレに優勝してほしい」と言ってもらえたことがすごくうれしかった。やはり、自分たちも一番いいサッカーをしていると思いながらやっているし、サポーターもそう思ってくれていると思う。今まではタイトルを取れなかったのが悔しかったのですが、うまくて強い、見ていて楽しいチームが優勝するのは、子供たちにも目指す場所になると思う。そうなれているのはうれしく思います。

長い1年で、勝てない時期もぶれずにやっていく強さはついたと思いますが、やはり、まだ一発勝負の強さはないと思うし、他のカップ戦で勝てないところがあるので。個人的にはACLを見ていて、戦いたい気持ちがすごく強いです。来年は、タイトルを複数取れるようなチームにしたいですね。(川崎フロンターレFW 小林悠)