第97回全国高校サッカー選手権が30日に東京・駒沢陸上競技場で開幕します。平成時代に誕生した怪物や名勝負、「あの名言」誕生の裏側などを「HEY! SAY! サッカー選手権」と題し、今日から5回にわたって連載します。第1回は95年(平7)度の第74回大会で、PK戦制度導入前、最後の両校優勝となった静岡学園対鹿児島実を、静岡学園前監督の井田勝通氏(76)が振り返ります。

      ◇       ◇

激闘から22年-。井田氏が今でも鮮明に記憶に残る一戦を振り返った。「選手たちは悔しかったんじゃないかな。『もっとやりたい』、『優勝した気がしない』というような感じで、表彰式でもぼうぜんとしていたことを覚えている」。

96年(平8)1月8日。ともに初優勝を懸けた静岡学園と鹿児島実の決勝は、2-2のまま延長戦でも決着がつかなかった。決勝にはPK戦が導入されていなかったため、史上7度目、平成最後となる両校優勝という形で幕を閉じた。

井田氏は「先制点は自陣からパス9本をつないで最後のシュートも股抜きだった。それが理想だったし、決勝という舞台でスタイルを貫いて優勝できたことが俺はうれしかった」と懐かしんだ。南米のサッカースタイルをベースに世界で活躍できる選手育成を目指していた。高校1年で中退して単身ブラジルへ渡った横浜FCのFW三浦知良(51)らにも大きな影響を与えている。

個人技のチームスタイルに、この「悔しさ」が加わり、チームを大きく成長させることになる。井田氏は翌97年(平9)からの変化を明かした。

井田氏 練習の取り組み方が変わった。選手は「こういう練習をすれば勝てる」と自信を持てる。監督としても余計なことを言わなくていい。例えば、ダッシュでも「単独優勝できなかったのはこの1本じゃないのか?」と一言で伝わる。そういう積み重ねが伝統になる。選手には悔しい思いをさせてしまったけど、やっぱり優勝は宝物だな。

2000年(平12)度大会からPK戦が導入され、これまでに2度、単独優勝校が決まった。井田氏は「当時も選手の顔を見てたら、やらせてあげたかった。中途半端で終わるより、たとえPKを失敗しても『戦い切った』という気持ちが選手として大切だから。今の形は良いと思うよ」と持論を述べた。

最後まで戦わせてあげられなかった教え子を思う気持ちは今でも残る。ただ、両校優勝が静岡学園を全国の常連へと押し上げる確かな礎となった。【前田和哉】

◆95年度決勝、静岡学園-鹿児島実VTR 静岡学園が後半1分までにMF森山とMF石井の得点で2点を先行したが、後半4分と37分に鹿児島実DF柏野がゴールを決めて同点。延長戦に突入するも、両校得点を奪えず。100分間の死闘の結果、選手権史上4年ぶり7度目の両校優勝となった。決勝には鹿島などで活躍したFW平瀬(鹿児島実)や、柏などでプレーしたGK南、DF森川(ともに静岡学園)と後のJリーガーがプレーしていた。

◆選手権での決勝PK戦 第5回大会(1921年度)は再試合の末、御影師範が優勝。それ以降、同点で終えた場合は両校優勝となっていた。PK戦が導入されたのは2000年度から。04年度に鹿児島実が市船橋を0-0からのPK戦で4-2と競り勝ち、初めてPK戦決着。12年度も鵬翔が京都橘をPK戦で下した。