2002年(平14)のサッカーワールドカップ(W杯)に日本代表として出場した、J3長野パルセイロMF明神智和(41)が今季限りでの引退を発表した。「今シーズンをもって現役を引退することを決意しました。チームからは来年も選手契約のお話をいただいたのですが、プロサッカー選手として求められるものに応えられないと感じ、引退という決断に至りました」と、契約延長の話はあったものの、自らに納得いかなかったことで引退を決断したと明らかにした。

明神は8日の最終節ロアッソ熊本戦(ホーム)を前に引退を発表した理由について「最後までチームの一員として戦いたい気持ちが強く、発表をシーズン終了後にしようと思っていました。一方で、24年間を振り返る中で、関係者やファン・サポーターの皆様には前もってお知らせするべきではないかとも考え、最後まで悩みましたがこのタイミングでの発表とさせていただきました」と語った。

明神は、柏レイソルの下部組織から1996年(平8)にトップチームに昇格し、99年に柏にとって初タイトルとなったナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝に貢献。翌00年には柏初のJリーグベストイレブンに選ばれた。

00年には、A代表監督とU-23(23歳以下)日本代表を兼任したフィリップ・トルシエ監督から高く評価され、シドニーオリンピック代表とA代表に選ばれた。トルシエ監督の「8人の明神と3人の個性的な選手がいればチームが出来る」と評価されたように、献身的なプレーで代表の中盤を支え、W杯日韓大会では日本代表初の決勝トーナメントに貢献した。

06年に柏のJ2降格を受け、柏を率いた西野朗監督が率いるガンバ大阪に移籍。12年にはJ2に降格も、翌13年には優勝し、14年にはJリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠を制し、自身初のリーグ優勝を果たした。15年にG大阪からコーチ就任の打診を受けるも固辞し、16年に名古屋グランパス、17年には長野に移籍した。

明神は「AC長野パルセイロをJ2に上げる。そのことだけを考えてプレーしてきましたが、達成することができず本当に申し訳ない気持ちです。J2に上がり、違う景色を皆様と見たかったです。ただ3年間、AC長野パルセイロのユニホームを着て、AC長野パルセイロのエンブレムのために戦い、長野Uスタジアムでプレーできたことはとても幸せでした。バスでスタジアム入りする時に聞くチャントが特に大好きでした。この3年間で出会い、お世話になったすべての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました」と長野への愛を強調した。

そして「この場を借りて、今までお世話になった柏レイソル、ガンバ大阪、名古屋グランパスの関係者の皆様にも心より感謝申し上げます。各クラブでキックオフの笛から試合終了の笛が鳴るまで全力でピッチを走りまわり、プレーできたことは僕の誇りであり財産です。24年の選手生活、たくさんの出会いに恵まれ、多くの方々に支えられてここまで現役を続けることが出来ました。本当にありがとうございました」と感謝した。

明神はJ1で497試合に出場し26得点、J2で20試合、J3で38試合に出場。Jリーグ通算では555試合に出場した。

長野によると、明神本人の希望により、8日の最終戦を含め「引退セレモニー」は実施せず、翌9日に実施する引退記者会見の映像をクラブ公式Youtubeでライブ配信するという。