「本当にサッカーって最高なところを見せたいので、これからも続けさせてください」

10年12月4日、ホーム大宮アルディージャ戦が横浜F・マリノスのラストマッチだったDF松田直樹さんは、大勢のサポーターが残る日産スタジアムのゴール裏へ歩を進めた。嘉悦朗社長、木村和司監督のシーズン終了あいさつの次にセッティングされた退団セレモニーだった。

「生意気でわがままな自分を応援してくれて、ありがとうと言いたい。バカで生きてきましたけど、応援してくれたからマリノスの試合を1試合1試合、気持ちを込めて戦った」

95年から16年間、横浜一筋だった。戦力外通告による非情な退団劇に悔しさをかみしめ、感謝の言葉を口にした。そして言葉を詰まらせながら、こう続けた。

「マジでサッカー好きなんすよ。マジでもっとサッカーやりたい。本当にサッカーって最高なところを見せたいので、これからも続けさせてください」。

深々と頭を下げて、横浜の背番号3のユニホームと別れを告げた。

翌年、当時JFLだった松本山雅に加入。横浜時代と同じ3番を付け、DFとしてチームをけん引した。同年7月、Jリーグを含めて公式戦通算400試合出場を達成した後、突然の死を迎えた。8月2日朝、松本市でのチーム練習中に倒れ、救急搬送された。意識が戻ることがないまま、2日後に急性心筋梗塞で帰らぬ人となった。

12年1月、松田さんのメモリアルゲームが開催された。人柄を物語るようにそうそうたるメンバーが集結した。井原正巳、川口能活、中沢佑二、中村俊輔ら横浜ゆかりの選手たちと宮本恒靖、服部年宏、中田英寿、福西崇史、藤田俊哉、中山雅史、カズら対戦した仲間たちが対戦。ピッチでお別れを惜しむように会場を盛り上げた。

松田が「本当にサッカーって最高なところを見せたい」と叫んだ日産スタジアムに「ナオキ!ナオミ!ナオキ、オレッ!」のコールが鳴り響いた。

横浜は松田さんの死後、背番号3を永久欠番とした。今月22日から31日まで、松田さんのチャリティーユニホームを受注販売中だ。売り上げの利益全額が神奈川県を通じ、新型コロナウイルス治療の最前線に立つ医療従事者の支援にあてられることになっている。松田さんの「サッカー最高」は形を変え、今も生き続けている。