「よめ、走れ、うて」のスローガンのもと、水原サッカー少年団を4度の全国大会に導き、長い間、新潟県サッカー協会副会長などの重責を担ってきた関谷敏雄氏が21日午後1時56分、体調を崩し阿賀野市内の病院で亡くなった。70歳だった。告別式は24日に家族、関係者で営まれる。

長岡市出身の関谷氏は、水原小学校の教員に赴任した翌年の84年に同少年団を設立し、87、88、90、08年に全国大会に出場。ソニー仙台DF吉川佳介(24)を擁して臨んだ「第32回全日本少年サッカー大会」では県勢初の4強入りを果たした。36年にわたり指揮をとった関谷氏はこれまで、磐田や札幌で活躍した清野智秋(38)、女子日本代表テクニカルスタッフとして11年女子W杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダル獲得に貢献した能仲太司(41)をはじめ約800人以上のOBを輩出した。

同少年団は現在、関谷氏のDNAを継ぐ多くのOBらがコーチとして指導を行っており、園児から小学6年生100人を超す選手が5度目の全国大会出場を目指している。田中純壱総監督(45)は「“常に勝利を目指す”というフィロソフィーを受け継ぎ、伝統をさらに発展させていきたい」と話した。【小林忠】