<皇后杯:千葉1-1(4PK3)伊賀>◇準決勝◇22日◇NACK

 「ママさんボランチ」が、ラストピッチで輝いた。伊賀は1-1のまま千葉と延長戦でも決着がつかなかったが、惜しくもPK戦で敗れた。今季限りで引退を表明した元日本代表MF宮本ともみ(33)は、後半に起死回生の同点ゴール。PK戦でも1番手で決めるなど、家族の見守る前で最後の勇姿を見せた。24日の決勝(NACK)では、千葉が3連覇を狙うINAC神戸と対戦する。

 ラストマッチに、自ら花を添えた。1点を追う後半24分、伊賀は左サイドでFW中出からMF那須とボールが渡り、ゴール前へのラストパス。宮本が反応し、右足のワンタッチで押し込んだ。「最後の試合で自分が決められた。神様がくれたプレゼントじゃないですけど、うれしかった」。

 試合を振り出しに戻すと、そのまま延長戦へ。それでも決着がつかず、PK戦に突入。伊賀の1番手は宮本。ここで、甲高い声が耳を貫いた。「ママ頑張れ!」。スタンドから長男耀大(ようた)くん(7)の声が飛んだ。「ここで外したら何を言われるか分からないと思って…。心強かったです」。愛息からのプレッシャーも力に、右足でゴール左隅に決めた。試合には敗れたが「準決勝まで来られたのはみんなのおかげ」。チームメートにも感謝した。

 なでしこの環境を整えた功労者だ。02年に宏章さん(39)と結婚し、05年に耀大くんを出産。産休を経て翌年に代表復帰すると、日本協会の協力も得て合宿や遠征に息子を帯同させた。07年キプロス遠征では耀大くんが40度の発熱を訴えるハプニングもあったが、子育てと両立する宮本の努力のかいあり、今では日本女子代表で5歳までならベビーシッターを同伴しての遠征帯同が確立されている。

 「もうやめちゃうの」と、耀大くんからも惜しまれながらの引退だ。宮本は「(出産は)やり切ってからの方がいいんじゃないか」と言いつつ、「みんなへの選択肢が1つ増えたと思う。周りも、歓迎する雰囲気をつくることが大事」とさらなる「ママさんなでしこ」の誕生を期待する。

 「サッカーで成長させてもらったので、恩返ししたい」と指導者への憧れもある。サッカーファミリーに貢献する新たな人生が始まった。【由本裕貴】

 ◆宮本(みやもと)ともみ

 1978年(昭53)12月31日、神奈川・相模原市生まれ。旧姓・三井で97年にプリマハム(現伊賀)入団し、同年に代表初選出。02年の結婚を機に宮本姓に。09年から東京電力マリーゼ、11年から伊賀。日本代表として04年アテネ五輪、99年世界選手権(後のW杯)、03、07年W杯出場。代表通算77試合13得点。168センチ、60キロ。