サッカー、ワールドカップ・ロシア大会に出場する日本代表が2日昼、事前合宿地となるオーストリアのインスブルックへ向けて成田空港からチャーター機で出発し、経由地のミュンヘンに到着した。見送りに駆けつけたファンは約150人。国内開催だった02年日韓大会を除けば、深夜3時45分出発だった10年南アフリカ大会の70人に匹敵する少なさ。ただ、当時の岡田ジャパンは下馬評を覆して16強入りし、帰国時の関西空港には開場以来最多の約4200人を集めた。期待薄は吉兆。西野ジャパンもあやかりたい。

 警備体制は厳重だった。「走らないで」「後ろの人は押さないで」と厳しい声が飛ぶ。だが、過去の出発と比べると、殺到したとは言えなかった。ユニホームを掲げた男性やサインをねだる子どもらはいたが、その数は約150人。4年前は約700人も詰めかけた。5分の1ほどに減ったファンの中を西野監督を先頭に行進する中で、「(コーチの)森保さん、頑張って」の掛け声がひときわ響くと、思わず笑い声も漏れた。

 国内最後の壮行試合となったガーナ戦で落胆し、0-2の結果を受けた翌日、少しだけ「血の入れ替え」も期待された中で、かえって驚きに満ちた“ノーサプライズ”の代表発表。出発セレモニーで西野監督は「たくさんの思い、期待を持ってロシアに出発したい」と話したが、どうしたって期待は高まらない。ファン約150人は、深夜3時45分の出発で約70人の見送りだった10年南アフリカ大会の岡田ジャパンに次ぐ少なさ。これが夜だったら…。

 とはいえ、下馬評の低さは決してマイナスではない。大会前の評価が高かった06、14年は1次リーグで敗退し、批判がうずまいた02、10年はいずれも勝ち進んだ。特に大会後「岡ちゃん、ごめんね」の言葉がはやった10年は帰国時、4200人も集まった。期待値が低ければ低いほど、覆せれば歓喜までの幅はより一層の広がりを持つ。主将のMF長谷部は「日本中の皆さんの素晴らしいサポートを胸に、日本代表が1つとなってロシアの地で戦ってきたい。全員で強い気持ちを持って戦う」と誓った。

 バックアップメンバーのFW浅野、MF井手口も帯同して25人で乗り込んだ機内では、3分の2の選手が写る記念写真を撮り、練習着に着替えてビジネスクラス並みの座席に着いた。帰国時もその笑顔を保つために。“下克上”の旅に出た。