2度のワールドカップ(W杯)指揮を誇るサッカー元日本代表監督、岡田武史氏(61)が、W杯ロシア大会を独自の視点で「岡田武史論」を展開する。【取材・構成=木下淳】
西野ジャパンは、初陣となった国内最終戦(5月30日)でガーナに0-2で敗れた。岡田氏も10年の壮行試合・韓国戦を0-2で落としている。試合後、進退伺を出したほどの悔しい敗戦をきっかけにGKを楢崎から川島へ、直前合宿を経てエースを中村俊から本田にシフトしたのは有名だ。
「スコアは同じかもしれないが、西野さんとは状況が全く違うよ」。岡田氏はそう前置きした上で「戦術の変更の必要性は半年前から感じていた。選手が疑心暗鬼にならないタイミングを探っていた。その過程で主将も。ずっと任せてきた中沢は相当かわいい選手だったが、俊輔、楢崎と仲が良く、遠征先でも常に一緒だった。その2人を自分がレギュラーから外した時、中沢1人だけ『行くぞ』と元気を出せるかなと。やさしい男だから。彼が主将として問題あるわけではなかったが、フレッシュな長谷部(当時26歳)にゲーム主将を任せることにした」。
以来、長谷部が主将を務めてきたが「これからは、長谷部以外の選手も声を上げるようにならないと。1つの方向に向かい、チーム一丸になるために」。16強入りした10年南アフリカ大会からは長谷部のほか、川島、岡崎、本田、長友が残った。彼らは今も主軸を担っているが、大会で重要になるのは「試合に出ないベテラン」と岡田氏は言う。過去2度のベスト16、トルシエ監督の02年日韓大会は中山と秋田、南アフリカ大会は川口がいた。「決勝トーナメントまで勝ち進んでも23人のうち2、3人は出ない。そういう選手、例えば川口は誰よりも練習し、ボールを片付けたり、食事会場を回ったり、裏方として支えてくれた」。大きな背中でチームを引っ張る存在が今回も不可欠になる。
コンディション調整も絶対だ。日本協会によると、西野ジャパンは初戦コロンビア戦の4日前(今月15日)にピークがくる練習プログラムを組んでいる。岡田氏も綿密だった。試合会場の標高が最高1500メートルあった南アフリカでは、高地対策の専門家、三重大の杉田正明准教授(当時)を特別コーチとして帯同した。
「毎日、検尿や血中酸素を測ってもらい、疲労度をチェックしたことで適切な練習ができた」。初戦カメルーン戦の3日前には超異例の完全オフを与えた。標高1800メートルのザースフェー(スイス)での合宿を終えて最終調整に入っていたが、杉田氏が訴えてきた。「まだ内臓疲労が残っています」。岡田氏が「十分、元気になっただろう」と返すと「ぞうきんを絞って、まだ中が湿っている状態をイメージしてください」と引き下がらなかった。「監督にとって1日1回の練習は極めて大きい。しかも、最も大事なW杯初戦の直前だ。よく言えるなと思ったけれど、本当に状態が上がるのか聞いたら『必ず上がります』と。かなり勇気が必要だったし、緻密に組んでいた練習予定も組み直しになった。だが、断言したから信じることにした」。
結果、カメルーン戦は1-0の勝利。チームの走行距離は5キロ以上、相手を上回った。第2戦オランダ戦の2日後も完全休養に充てて、第3戦デンマーク戦を3-1で制した。1次リーグの1人平均の走行距離は32カ国中2番目に多く、負傷者もゼロ。風邪をひく選手すらいなかった。全4試合、同じ先発11人を並べられたのは日本だけだった。
西野監督も先月21日のキャンプ開始時、選手の状況に応じて連休を与えてから段階的に合流させた。早川コンディショニングコーチは「西野さんは、選手のリフレッシュを優先できる人」。オーストリアでも今月9日の練習をオフにした。岡田氏は「メンタル、戦術の方向性を決めることは一丸となるために大事だが、走れなかったら、どうにもならない」。日本が格上を倒すための生命線になる。
14日夜には、4年に1度のW杯が開幕した。大会のたびに新たな潮流が生み出されてきたが、今回は-。
「もうサッカー自体、成熟してきている。(74年西ドイツ大会の)オランダのトータルフットボールみたいに、昔はW杯ごとに革命的な戦術が編み出されてきた。ところが、今はみんな欧州でプレーしていて、どの国も似通ってきた。だからこそ求められるものは、より速く、より強く、より正確に。そこにメッシ(アルゼンチン)やネイマール(ブラジル)らスーパーな選手を加えられる国が、勝ち上がる時代になるだろう」とトレンドを予測した。