サッカーワールドカップ(W杯)カタール大会(20日開幕)の日本代表に初めて選出されたアイントラハト・フランクフルト(ドイツ)MF鎌田大地(26)が、エースの自覚を結果で示した。発表当日の1日に行われた欧州チャンピオンズリーグ(CL)1次リーグ最終節のスポルティング(ポルトガル)戦で、PKから同点ゴール。日本人初の3試合連続得点をきっかけに、チームはアウェーで2-1の逆転勝ちを収め、史上初の決勝トーナメント(16強)進出となった。欧州で注目される存在へと成り上がった男が、W杯でさらなる高みを目指す。

不敵な笑みが、満ちあふれる自信の表れだった。0-1の後半17分。自らが空中戦で競り相手ハンドを誘った。そのPK。観客席からレーザー光線による顔への妨害行為を受けると、口角を上げて薄ら笑いした。

「自分が今チームで絶対的な選手っていうのは分かっている。僕が外しても誰も文句は言えないと思う」

重圧がかかる場面でのPKでも失敗する気がしなかった。GKの逆をつき、強いボールを右へ蹴り込んだ。世界最高峰の舞台で日本人初の3試合連続の得点だ。この1点を足がかりにチームは逆転勝ちを収めた。

覚醒している。昨季の欧州リーグ優勝からさらにパフォーマンスは向上。ブンデスリーガではすでにキャリア最高の7得点(公式戦20試合で11得点)。シーズン開幕前にはポルトガルの強豪ベンフィカへの移籍も取り沙汰されたが、グラスナー監督の強い希望を受け、おとこ気の残留。決断は正しかった。「今は自分にとってすべてがうまくいっている」と充実感が漂う。

W杯のメンバーにも文句なしの選出だった。9月のドイツ遠征ではトップ下として米国戦でゴールも決めた。本大会でもチームの核として期待される。1日に行われたW杯のメンバー発表会見は「入らないと思っていないので見ていない」。ストレートな物言いはかつての本田圭佑さえもほうふつ。今は乗りに乗っている。

野心あふれる成り上がり者だ。その経歴は本田とも重なる。同じくG大阪のジュニアユースからユースへ昇格できず、高校サッカーへ。京都・東山高は校舎からグラウンドが遠く、朝練習は廊下に椅子を並べてドリブルを繰り返した。同世代で当時の有名選手は京都ユースFW奥川雅也(ビーレフェルト)や清水ユースFW北川航也(清水)。自身は全国区ではなかった。

卒業後は鳥栖へ進み、17年6月にEフランクフルトへ。1年目はベンチにすら入れなかった。試合に絡めない選手には毎日、全体練習後に1時間近い走り込みが課せられた。「今までで一番苦しかった」。ベルギー1部シントトロイデンへの期限付き移籍は、失意の武者修行だった。そこからEフランクフルトの主力に定着するまでに成長し、欧州のタイトルも手にした。

鎌田には美学がある。「CLで優勝したら、サッカーを辞める」。最高の状態のままピッチを去る。それだけの覚悟を持って、欧州の舞台で戦う。W杯は、メガクラブも注目する舞台。はい上がった男のサクセスストーリーは、終わりが見えない。【岡崎悠利】

<鎌田の成り上がりヒストリー>

◆1996年8月5日 愛媛県伊予市生まれ。

◆09年 地元・愛媛のキッズFCからG大阪ジュニアユースに入団。

◆12年 G大阪ユースに昇格できず、京都・東山高へ進学。

◆14年 高3時には高円宮杯プレミアリーグ西地区で10得点と大活躍。

◆15年 5クラブ争奪戦の末、鳥栖入り。1年目からリーグ21試合に出場し、3得点。

◆16年 鳥栖2年目でリーグ28試合で7得点。

◆17年 夏にEフランクフルトへ移籍。

◆18年 17-18年シーズンはわずか3試合の出場で、ベルギーのシントトロイデンへ期限付き移籍。

◆19年 3月に日本代表初選出。シントトロイデンで15得点を挙げ夏にEフランクフルトに復帰。10月のモンゴル戦で日本代表初ゴールも。

◆20年 10、11月の欧州遠征で活躍し、日本代表のレギュラーに定着。

◆21年 3月のライバル韓国戦でゴールを決め3-0の快勝に貢献。

◆22年 欧州リーグで、バルセロナを破るなどして優勝。