昨年12月29日に82歳で亡くなったサッカー元ブラジル代表で「王様」と呼ばれたペレさん(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)のひつぎが3日、長年過ごしたサンパウロ州サントス市内を巡り、墓地に送られた。

元日本代表FWで、昨年5月までJFL(日本フットボールリーグ)理事長を務めた桑原勝義さん(78)に交流のあったペレさんとの思い出を聞いた。

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サッカーの「王様」は気さくで、優しかった。

1976年(昭51)1月、ペレさんは本田技研工業のコマーシャル撮影のために来日。撮影場所となった静岡・浜松市にある本田都田グラウンドにほど近い、浜名湖畔のホテルに1週間ほど滞在していた。

ある日の夜、当時、日本リーグ2部本田技研工業(ホンダFCの前身)の監督だった桑原さんはペレさんらと浜松市内の繁華街に足を運んだ。気分転換してもらえたらと、なじみの日本料理店に案内した。

撮影が立て込んでいて、疲れた様子もうかがえたペレさんは、アワビや地魚などを「おいしい」と言って平らげた。居合わせた客の求めに嫌がるそぶりもなく写真に一緒に写ったり、調理場に入って板前の仕事ぶりを見たり、フレンドリーに接していたという。

食事を終えたペレさんが「歌いたい」と言うのを聞いた桑原さんは、行きつけの絨毯(じゅうたん)バーがある、と誘った。

当時日本ではやっていた、靴を脱いで入る飲食店に足を踏み入れると、ペレさんは「左利き用のギターはない?」と辺りを見回した。店には左利き用のギターはない。バーのマスターが近隣を回って探しだしてくると大きな目を見開いて喜んだ。うれしそうに受け取ると、地元客もいる前で弾き語りを始めたという。

「3曲ぐらいだったと思います。故郷を思うような曲に胸が熱くなった記憶があります。楽しんでくれたんだと思います。あの後、何度かブラジルで会ったんですが、そのたびに、あの夜の話になりました」。

ギターを弾いたペレさんに堅苦しい「王様」のイメージはなかった。明るく、温かく、気遣いのできる人だった。

そのCM撮影から約3カ月後、桑原さんらは米ハワイの「アロハ・サッカー・フェスティバル」に招かれて遠征した。団長は本田技研工業の創業者・本田宗一郎さん。2万人超の観衆の前でペレさんが所属していたニューヨーク・コスモスと対戦した。

「ペレに4点決められて0-5で負けたんです。ちょうど先月のワールドカップのカタール大会で話題になった『三笘の1ミリ』の位置から少し遠い、角度のないところから決められました」。

監督兼選手として出場した桑原さんの脳裏には、サイドネットを突き刺した強烈なシュートの残像が焼きついている。

多くの人に愛された人柄も、史上最高の選手としてのすごさの一端も、じかに感じた。

「ペレはクリスチャンで、胸には十字架の金のペンダントが光っていました。『サッカーは愛だ』と言っていましたね。W杯後に天に召されたのは何らかの意味があるのかもしれません。さびしいです」。訃報に接し、しんみりと話した。

桑原さんは浜松市の自宅にCM撮影の合間に撮った2ショット写真を飾っている。ペレさんと同じ時代を生き、サッカーを通じて出会えたことを誇りに思える、色あせることのない1枚だ。【桐越聡】