高校3年にして欧州に挑戦し、来夏のパリ五輪(オリンピック)を目指して飛躍中の異色ストライカーがいる。
オーストリア2部SKNザンクトペルテンFW二田理央(20)。
昨季は左肩脱臼で長期離脱も14試合2得点と結果を出し、今季、J1サガン鳥栖からの完全移籍で勝負の年を迎えている。
今季は全8試合に出場。まだ1得点ながら持ち味のシュート力と決定力に磨きをかけており、堂々、目標に得点王を掲げる。達成の先にはパリ五輪とA代表へのステップアップも見えてくる。
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二田は今季、鳥栖からの期限付き移籍が完全移籍に変わり、ザンクトペルテンで2シーズン目を迎えた。7月30日、開幕シュトゥルム・グラーツ2戦に先発出場し、前半2分に得点。今季のチーム第1号だった。
「今季は先発にこだわって、得点王になって1部昇格に貢献したい」
そう話す通り、今季は全8試合に出場しているうち4試合で先発している。
経歴は異色だ。鳥栖とプロ契約したのは高校3年の時。6月30日に契約し、翌7月、オーストリア2部ヴァッカー・インスブルックの練習に参加。同クラブのU-23チーム(3部相当)に期限付きで移籍した。
鳥栖での出場は、わずかリーグ1試合(12分)。それでも欧州に飛び込んだ。
「何も考えず、行きます! と。断る選択肢がなかった」
U-23チームでは19試合21得点で得点王。並行してトップチームの試合にも出場して5試合1得点。結果を出してザンクトペルテンへ加入した。
渡欧した時は英語を話せなかったが、縁があった、同クラブでU-23の監督を務めていたのが、ヴィッセル神戸や浦和レッズでコーチ経験があるモラス雅輝氏(現ザンクトペルテン・テクニカルディレクター)。その夫人から週2回、約2時間のドイツ語レッスンを受け、今では監督やチームメートと戦術の会話もできるほど上達している。
「最初は何も分からなかったけど、語学だけでなくモラスさんに欧州での考え方、欧州のサッカーを教えてもらえた。そこで積み上げていった感じがあった。もし1人だったら、ひどいことになってたかもしれない」と出会いに感謝する。
昨季はU-19日本代表としてモーリスレベロトーナメント(旧トゥーロン国際)にも出場した。パリ五輪へアピールしていたが大会中に左肩を脱臼。当初は保存療法を選択してピッチに立ち続けたものの、昨年11月末に2度目の脱臼をしたことで手術を受ける決断をした。
そこでもポジティブ思考なのが、二田の良さだ。
「もも前、大臀筋など下半身の筋肉量が足りてないのがクラブの測定で出ていたし、自分でも足の筋力が弱いと感じていた。この期間に課題に向き合おうと」
約4カ月ほどの離脱期間に、下半身を徹底的に鍛えた。体重は1キロほど増え、体脂肪が減り、体のキレが増したことを実感。体つきもたくましくなった。
欧州を舞台に感じた自身の強みは「ゴールを決めることとスピード」と話す。
特に、欧州でストライカーのメンタリティーを体得した。
「ゴールを外した時、FWはいろいろ考えちゃうんです。周りからも、せめて枠に入れろよ、とか言われるし(笑い)。でも、自分も枠に入れようとして打っているし、誰も枠を外そうとして打ってはいないわけで。逆に、何言ってんだ、そのつもりでやってるよ、って。そのメンタルでいくと練習でも入ってくるんです。力が抜けて。5本打って1本入ればいい。試合では1得点ですから」
来夏にはパリ五輪が控える。しかし「まず一番は、チームで活躍することにフォーカスしている。チームで結果を残せば見てくれていると思っている」としっかりと足元を見つめる。
同年代の選手がA代表に招集されても、あくまで自分の成長に矢印を向ける。20歳にして、考え方は大人だ。
昨季は負傷明けという状況もあり、スーパーサブでの起用が多かっただけに、今季は先発にこだわる意欲も口にする。
ステップアップリーグとして知られる“見本市”オーストリアで着実に実績を残せば、パリ五輪、5大リーグ、A代表入りも見えてくるはずだ。
◆二田理央(にった・りお)2003年(平15)4月10日、大分県生まれ。中学時代まで大分のクラブで過ごし、高校から鳥栖ユース。20年にはクラブユース選手権で優勝した。21年にトップチームに2種登録され、6月23日の横浜戦でリーグデビュー。同年6月30日にプロ契約。7月にヴァッカー・インスブルックのU-23チームに期限付き移籍。22年8月、ザンクトベルテンへ期限付き移籍し、今季から完全移籍。174センチ、67キロ。利き足は右。