[ 2014年1月27日16時38分

 紙面から ]町田樹の母弥生さん(撮影・益田一弘、2012年1月21日)

 フィギュア界の孟母(もうぼ)三遷の教え-。フィギュアスケート男子の町田樹(23=関大)が、初めての五輪に臨む。通年リンクがない広島で育った町田には、母弥生さん(44)のバックアップがあった。一家での引っ越し、高校への新幹線通学など、息子がスケートに打ち込める環境を整えるために一切の妥協はなし。哲学書を好むスケーターは、そんな母の愛情をたっぷり受けて育った。

 古代中国の儒学者、孟子の母は、息子の教育のために2度も引っ越しを行った。故事「孟母三遷の教え」とは、子どもは周囲の影響を受けやすいので環境を選ぶことが大事という意。町田の母弥生さんは、言葉をそのまま実行した。

 町田が、中学1年の時だ。一家はJR広島駅近くの広島市安芸郡府中町に住んでいた。同市東区のリンクには車の往復で約40分かかった。通える距離だが近くではない。弥生さんは「少しでも練習を長くとるために」。練習時間を30分増やすため、リンクまで5分の場所に一家で引っ越した。

 高校の時も、息子の成長を一番に考えた。憧れの高橋大輔が通った岡山・倉敷翠松(すいしょう)高に進学した。寮生活か、新幹線通学か。弥生さんは成長期の息子にバランスがいい食事を取らせるため、新幹線通学を選択。「目の届く範囲で食事を作ってあげたかった」というが、1カ月の定期券代は8万5000円。毎朝5時起きで朝食を作り、6時に送り出した。

 町田は昨年4月、2年間の米国生活を終了し、練習拠点を大阪・高石市内のスケート場「りんスポ」にした。春先は京都市内に住む妹さくらさん(20)の部屋に居候していた。だが練習場まで片道2時間。五輪シーズンを前に無理がたたり1週間も寝込んだ。「引っ越したいけど、どうしよう」という息子に弥生さんは「じゃあすぐ引っ越そう」。

 町田が6月にプログラム作りで米国に行っている間に、物件探しから契約、部屋の準備まで完了。荷物を車につめて、帰国した息子を大阪空港で拾い、そのまま不動産会社に直行。「え、もう住めるの?」と驚く息子の前で、新しい部屋の鍵を受け取った。もちろん「りんスポ」に歩いて通える場所だった。弥生さんは「私はやると決めたら即です。即」と笑う。

 大学に進学して息子が実家を離れてから日課がある。夕暮れ時、広島市内の太田川河川敷を40分かけて散歩する。道ばたにある小さなお地蔵さまに「樹がけがしませんように」と祈る。「1回お願いして、次の日にしないと、けがをするような気になっちゃって」。もう6年続けている。

 散歩の時には携帯電話と家の鍵を両手に握りしめて歩く。ある時、町田から「ポーチを買ったら」と言われた。「いらないわ」と答えたら、昨年、母の日に小さなポーチが届いた。「私がポソっと言ったことを覚えていてくれるんです」。息子が臨む最初で最後の五輪。弥生さんはソチに駆けつけて、その晴れ姿を目に焼きつける。【益田一弘】◆町田樹(まちだ・たつき)

 1990年(平2)3月9日、神奈川県生まれ。3歳の時に千葉・松戸市のリンクで競技を始める。9歳で広島に引っ越し、岡山・倉敷翠松高で06年に全日本ジュニア選手権で優勝。関大に進学してGP通算3勝。昨年12月の全日本選手権2位で五輪初出場を手にした。162センチ、52キロ。 このニュースの写真