[ 2014年2月9日9時28分

 紙面から ]<連載:浅田真央

 悲願女王へのラストダンス第10回>

 ソチ五輪まで1カ月を切った1月下旬、浅田真央ははやる気持ちを抑えられず、豊田市の中京大リンク脇で待っていた。練習開始の5分前。貸し切りのため早く来る必要はないが、もう待ち切れなかった。「しっかりとした練習ができる!」。それは大きな喜びだった。心からフィギュアが好きな本性は23歳になり、2度目の五輪を目前にしても変わらない。

 14年の年明けから焦りは募っていた。昨年暮れに痛めていた腰の状態が万全ではなく、100%の練習ができていなかった。だからこそ、腰も快方に向かって、心おきなく練習できることが楽しかった。

 楽しさこそ、いまの浅田の最大の武器だ。10年バンクーバー五輪前は極度の不振で、周囲も容易に声をかけられないほどピリピリモード。それが「今回はいい緊張感あって、楽しんでいるみたい」(姉舞さん)。寒くて赤くなったほっぺにおもしろ顔をつくって、「リンゴみたい」とおどけた写真を姉に送るなど、余裕を持って日々を過ごす。

 そこには昨年4月のある宣言も関わっている。国別対抗戦のフリーを終えた13日の夜、ソチ五輪まで300日だったこの日、会場を去る際に「五輪シーズンが最後のつもりですか?」と聞かれると、「今はそのつもりです」と答えた。その直前には「五輪という最高の舞台で、集大成としていい思いができるようにしたい」とも述べた。現役引退、浅田は自分の口で覚悟を示していた。

 だからこそいま、楽しさが芽生える。豊田市の自室の壁には、ある張り紙がある。ファクス用紙に黒ペンで書かれた簡素なものだが、言葉は強い。「最高の演技をする」。集大成として、ライバルの存在を気にせず、どれだけ己と、フィギュアと向き合えるか。それを追求するからこそ、楽しいと感じることができる。

 5日、ソチへ向けて日本をたつ日、代名詞のトリプルアクセルを2回入れるフリーの構成を1回にすることを告げた。いま自分にとっての「最高の演技」は何か。佐藤コーチとも話し合い、「バンクーバーで跳べなかった全種類の3回転ジャンプを入れたい」と心を決めた。

 いま浅田には1つの信念がある。「いまの時代はジャンプだけじゃないと言われますけど、やはりジャンプが一番大事だと思っています」。自分だけにしか跳べない武器、自分だけにしかできない演技-。23歳で迎える2度目の五輪が、いま始まる。【阿部健吾】(おわり)