今季1500、3000メートルで日本記録を樹立した田中希実(21=豊田自動織機TC)が、21年に延期となった東京五輪代表に内定した。15分05秒65を記録し、優勝。

その土台には子どものころから抱いた「海外への憧れ」があった。

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幼少時から「走ること」は習慣だった。母千洋(ちひろ)さんは北海道マラソンで2度優勝。田中のコーチを務める父健智さんは、妻の走りをサポートする形で、現在に生きるコーチングの土台を築いてきた。

99年9月4日に田中が生まれてからも、母はトップランナーとして活躍してきた。田中にとって初めての海外は3歳。02年に千洋さんが出場した、ホノルルマラソンへの同行だった。

「ハワイの記憶はちょっとあって…。でも『母が走っていた』という記憶は全然ないんです」

かすかな思い出は行きの航空機内。ディズニーのアニメ「スティッチ!」の映画を見ていたが、途中でハワイに到着し「続きが見られない!」と泣き叫んだ。以降は日本で応援することが増えたが、海外のレースに臨む両親が身近だった。

「他の子よりも海外に興味を持っていたと思います。小学生の時も母がゴールドコースト(オーストラリア)のマラソンを走った時について行って、キッズレースで優勝できたり…。そういった経験が、すごく楽しかったんですよね」

小学校高学年になると、夕方、兵庫・小野市の自宅近くにある1周500メートルのコースを走った。

「そこを『今日は4周』『今日は5周』って感じで、適当にえっちら、おっちら走って…。『強くなるために』っていう意識もなく、でも『嫌』とも思わず…」

毎日の行いは徐々に可能性を広げ、やがて開花した。負けず嫌いの性格を自覚する田中は、こう言う。

「走るのは自分が取り組んできた結果なので、自分が嫌になることはあるんですけれど、陸上が悪い訳じゃない。それで結果が出なかったら、思い通りにならない陸上という競技に対して怒るんじゃなくて、自分に対して怒る感じですね」

中長距離の未来を背負う逸材として、注目を集めながら駆け抜けた2020年。幼少期からの習慣は五輪につながった。【松本航】