令和の大波乱が起こった。出場4回目の創価大が、5時間28分9秒で初の往路優勝を果たした。4区の嶋津雄大(3年)が後続と1分42差を付けるトップに立ち、流れを呼び込んだ。昨春から休学し、9月に復帰したばかり。失明の可能性もある網膜色素変性症を抱えるランナーが、榎木和貴監督(46)も「予想してなかった」という初出場から6年目の歓喜の立役者になった。創価大は2位の東洋大に2分14秒の大差をつけ、3日の復路に臨む。

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就任1年目でチームに初のシード権をもたらすと、2年目に往路優勝の快挙。短期間で創価大に成果をもたらした榎木監督は躍進の秘密について問われ、「秘密はまったくない。特別私が何かしたわけではなく、選手たちが純粋に努力してくれた結果」とほほえんだ。

現役時代は中大で活躍。箱根では4年連続区間賞に輝き、3年時に32年ぶりの総合優勝に貢献した。名門・旭化成に入ると、25歳だった00年に別大毎日マラソンを制した。

中大時代にコーチとして指導を受けたのが、現在は東京国際大の監督を務める大志田秀次氏だ。学生を指導する今は、「大志田さんが自分たちに立ててくれたメニューを参考にやってきた。そのなかで私自身の経験を織り交ぜ、いまの選手たちに合ったものに落とし込んでいる」。

強豪チームをいかに倒すかではなく、選手それぞれが精いっぱい自分の走りをすることを大事にしてきた。その信念は、往路を制したあとも変わらない。「後続をどれだけ離すかというよりも、自分たちの力を100パーセント出し切ることに集中させる」。

自身のブログのタイトルは「走姿顕心」。「走る姿はその人の心を顕(あら)わす」という意味が込められている。【奥岡幹浩】

◆榎木和貴(えのき・かずたか)1974(昭49)年6月7日、宮崎市生まれ。中学から陸上を始める。宮崎・小林高では全国高校駅伝3位を2回。中大に進むと箱根駅伝で4年連続区間賞を獲得し、主将も務めた。97年に旭化成入りし、00年別大毎日マラソンで優勝。指導者としては沖電気コーチを経てトヨタ紡織で監督などを務め、19年2月に創価大監督に就任。