パリに向け、新星が現れた。駒大出身の山下一貴(25=三菱重工)が日本男子歴代3位の2時間5分51秒をマークし、日本人トップの7位に入った。同じく駒大卒の其田健也(29=JR東日本)が日本人2位の8位。東京五輪6位の大迫傑(31=ナイキ)は、日本勢3位の9位で24年パリ五輪代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権を獲得した。

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先頭集団が日本記録を更新するペースで中盤へ差しかかっても、山下は動じなかった。「自分のペースを守り切った結果、(先頭に)追いつくことができた」。30キロ過ぎにとらえると、1度は大迫に遅れたが慌てることなく再び抜き返した。「僕はラストで勝てる選手じゃないので」と一気にではなく、じりじりと時間をかけて前へ出た。外国人選手の後塵(こうじん)は拝したが、先輩其田との競り合いを制し、日本人トップでゴールに駆け込んだ。

大学時代は苦しんだ。箱根路では2年時から3年連続でエース区間の「花の2区」を任せられるも、区間順位は13位、9位、13位。当時は「つなぎの2区」と捉えていたが、今も「悩んだ4年間だった」と振り返る。それでも「マラソンで戦えるよう、距離を踏むことはやってきました」。先を見据えながら黙々と練習を重ねる姿に、駒大で指導した大八木弘明監督や三菱重工の黒木純監督は「しっかり練習するのが強み。伸びると思っていた」と口をそろえる。

何事にも動じない性格が土台にある。箱根駅伝では中継所へ出遅れて、慌ててタスキを受け取ったことがあった。周囲はヒヤヒヤだったが、当の本人は笑いながら走り出した。社会人になっても変わらない。昨年は調子が上向いていた9月に大腿(だいたい)骨を疲労骨折。本格的な練習再開に2カ月を要したが、腐ることはなかった。下を向かず、リハビリに集中。アクシデントにも心を揺らさず「足づくりにはよかった。スピードも上がった」とプラスに捉えた。

そんな努力とメンタルが、終盤30キロ以降に生き、日本人歴代3位の好記録につながった。MGC出場権は22年2月の大阪マラソン・びわ湖毎日マラソン統合大会で獲得済み。10月にはパリ五輪を懸けた大一番を控える。かねて大八木監督から「欲を持て」と言われてきた男は「MGCもどうせならチャレンジしてみたい。パリ五輪も目標です」と言った。苦節を重ねたマラソン界の新星。これまでと変わらず、自分の歩調で進んだ先に、結果が待っている。【藤塚大輔】

◆山下一貴(やました・いちたか) 1997年(平9)7月29日、長崎市生まれ。友人に誘われて滑石中で陸上を始め、瓊浦高を経て駒大へ進学。箱根駅伝では2年時から3年連続2区出走。大学時代から「イチタカスマイル」の愛称で呼ばれる。座右の銘は「笑顔」。今年1月に結婚。身長172センチ、体重55キロ。

○…駒大勢が日本人ワンツーを決めた。16年卒の其田が日本歴代4位の2時間5分59秒の好記録で日本人選手2位、総合8位に入った。「30キロまで後ろで無理をしない走りをしようと。うまく力を使わないようにしてました」。ためた力を最終盤に振り絞り、大迫もかわした。恩師の大八木監督からはレース前に、「しっかり走れ!」とハッパを掛けられた。後輩の山下に届かず「めちゃくちゃ悔しい」も、「3冠を取った流れでうまく走れました」と“駒大旋風”を印象づけた。