パリ・オリンピック(五輪)に内定した2人は箱根駅伝のスターではなかった。

優勝した小山直城は母校東農大での出場はなく、2年時に関東学生連合のメンバーで4区を走り10位。2位の赤崎暁は拓大時代に4年連続出場も、1年10区12位、2年3区10位、3年1区18位、4年3区9位と輝かしい成績とはいえない。

1、2年時の1区で区間賞を取るなど、早大時代から注目を浴びてきた大迫は前回19年と同じ3位に入った。一方で山登りの5区で順大2年時から3年連続区間賞を獲得し、元祖「山の神」と呼ばれた今井正人は30~35キロ地点でオーバータイムのため失格。青学大3年時の5区で驚異的な区間新を出し、3代目「山の神」と呼ばれた神野は最下位の56位に終わった。

1920年に始まった箱根駅伝。マラソンの父・金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いが創設につながった。大学時代に決してスターではなくても、五輪代表になれる。小山と赤崎は脇役で無名の箱根ランナーたちに勇気を与えたことは間違いない。

【MGC男子】小山直城が優勝 2位赤崎暁とともに五輪切符獲得 大迫3位、川内4位/詳細