1964年の東京五輪(オリンピック)体操女子個人総合金メダリストのベラ・チャスラフスカさん(故人)は、10代の頃から国際大会になると、志願して日本男子チームの練習に入れてもらった。

当時の男子は日本とソ連の2強時代。彼女の母国チェコスロバキアは社会主義共和国で、ソ連(現ロシア)と親密な関係にあったが、ずっと日本チームにあこがれを抱いていたという。

「ソ連の選手は試合前から厳しい顔で、1分後に大爆発が起きるかのような重い空気でした。ところが日本選手は常に笑顔を絶やさず、演技後も笑って仲間と手を合わせる。明るく、それでいて盤石の演技をする。私も彼らのようになりたいと強く思ったのです」。14年3月、チェコのプラハでご本人から直接聞いた。

パリ五輪の体操男子団体決勝で、奇跡の大逆転で2大会ぶりの金メダルを獲得した日本チームに、10年前のチャスラフスカさんの言葉が重なった。

2種目目のあん馬で橋本大輝が落下した。まさかの失敗に金メダルが遠のいた。それでも沈んだ顔のエースに、メンバー全員が「大丈夫、大丈夫」と笑顔で駆け寄った。「絶対にあきらめないぞ」。萱和磨のひときわ大きな声がチームを鼓舞した。あそこから日本の連帯はいっそう強まったように思う。

最終種目の鉄棒で大差で首位に立っていた中国の選手が、2度も落下した。最後まであきらめない日本選手の気迫の演技に、重圧が増したのかもしれない。仲間の手痛い失敗に、険しい顔で頭を抱える中国選手たちの姿は、日本とは対照的だった。

金メダルを決めた橋本の最後の演技は圧巻だった。メンバー全員の命運を背負った、脈拍計が振り切れそうな緊張の中で、完璧な演技をやってのけた。絶望的な状況にも笑顔で奮闘し続けた仲間への思いが力になったのだろう。

「みんなに助けられた金メダル。みんなの思いを背負って戦えたのは幸せでした」。その演技、その言葉、それだけで偉大なエースだと思った。

60年ローマ五輪で初めて頂点に立って64年。“体操ニッポン”は今だ健在。そして、チャスラフスカさんがあこがれた、あの精神が若い世代に脈々と継承されているのがうれしい。【元五輪担当委員 首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「五輪百景」)

体操男子団体決勝、最終種目の鉄棒の演技を前に仲間たちに背中をたたくよう促す橋本(左)(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、最終種目の鉄棒の演技を前に仲間たちに背中をたたくよう促す橋本(左)(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、最終種目の鉄棒の演技を前に仲間たちに背中をたたくよう促す橋本(左から2人目)(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、最終種目の鉄棒の演技を前に仲間たちに背中をたたくよう促す橋本(左から2人目)(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、金メダルを決め目もとをぬぐう橋本(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、金メダルを決め目もとをぬぐう橋本(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、あん馬の演技を終えガッツポーズせる萱(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、あん馬の演技を終えガッツポーズせる萱(撮影・垰建太)
パリ五輪 体操男子団体決勝、あん馬の演技中に落下する橋本(撮影・垰建太)
パリ五輪 体操男子団体決勝、あん馬の演技中に落下する橋本(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、あん馬の演技を終え採点結果にうつむく橋本(左)(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、あん馬の演技を終え採点結果にうつむく橋本(左)(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、金メダルを獲得し喜びを爆発させる日本の選手、関係者たち(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、金メダルを獲得し喜びを爆発させる日本の選手、関係者たち(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、金メダルをとった日本の選手たちをねぎらう内村氏(撮影・垰建太)
体操男子団体決勝、金メダルをとった日本の選手たちをねぎらう内村氏(撮影・垰建太)
来日して娘ラトカを指導するベラ・チャスラフスカ(左)(1980年10月撮影)
来日して娘ラトカを指導するベラ・チャスラフスカ(左)(1980年10月撮影)
「オリンピックの名花」「体操の名花」と言われた、ベラ・チャスラフスカ(1964年10月撮影)
「オリンピックの名花」「体操の名花」と言われた、ベラ・チャスラフスカ(1964年10月撮影)