「私がルールブックだ」。昭和時代のプロ野球のある名審判の言葉である。審判控室に抗議にきた監督に毅然(きぜん)と告げたという。彼には別の逸話もある。新聞に掲載された誤審の証拠写真を突き付けられると一瞥してこう言った。「写真が間違っている」。
そんな思わず笑ってしまう昔話が脳裏をよぎった。パリ五輪(オリンピック)バスケットボール男子1次リーグの日本-フランス戦で、河村勇輝が終了間際にファウルを取られた瞬間を写した海外メディアの写真を目にしたからだ。空中でブロックする河村の手は、フランス選手の体に確かに触れていなかった。
もちろん一瞬を切り取っただけの写真は決定的証拠ではないし、目の前でプレーを見ていた審判の判断は尊重されるべきだと思う。でも、あの判定でフランスは土壇場で同点に追い付き、日本は延長戦の末に歴史的勝利を逃した。勝敗を決する重要な判定だったのだ。試合を止めて映像で確認する選択肢はなかったか。
サッカーの86年W杯メキシコ大会で、手で入れたマラドーナのゴールが“神の手”として伝説になった。00年のシドニー五輪柔道男子100キロ超級決勝では、すかし技を相手のポイントにされて負けた篠原信一が「弱いから負けた」とコメント。武道家らしい潔さで男をあげた。しかし、そんな牧歌の時代も今は昔。
テクノロジーが進化して、スポーツ界は微妙な判定は映像で検証するのが常識になっている。サッカーでは18年W杯からビデオシステムを導入。ピッチとは別の審判らが動画を確認している。22年W杯の日本-スペイン戦では、その最新技術が日本の決勝点につながる「三笘の1ミリ」というAI時代の伝説をつくった。
近年の五輪は以前とは比べものにならないほど、世界の注目度が高まり、出場選手もプロが主流になっている。勝敗や記録が選手の「賞品価値」に直結し、その後の人生まで左右する。その分だけ審判の判定にも正確さと公平性が求められていると思う。
試合後の報道によると、日本-フランス戦を担当した審判のSNSに批判が殺到しているという。あの時、映像で確認していれば、防げた事態ではなかったか。選手のプレーは高速化し、技の難度も格段に上がっている。積極的な映像テクノロジーの活用は、審判を助けるものでもあるのだ。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)




