9月1日から3日にかけて飛込競技の日本選手権が開催され、今年の日本一が決まった。

オリンピック前年度となった今大会では、来年2月に開催される世界選手権ドーハ大会の選考も兼ねていた。オリンピックをかけた最終選考会だ。その緊張感もあり、選手たちの雰囲気はいつも以上に引き締まっていた。

そんな中、ひときわ注目を集めていたのは初日の男子シンクロ板飛び込みに出場した43歳の寺内健選手(ミキハウス)だった。誰もが認めるレジェンドダイバーである。長きに渡り酷使してきた膝の状態が良くならず、今大会を最後に引退を表明していた。

寺内選手は、15歳で1996年アトランタオリンピック(五輪)に出場。その後もシドニー、アテネ、北京と連続で五輪に出場した。2009年に一度引退したが、2011年に再度世界へ挑戦することを決意。復帰後もブランクを感じさせない演技で、2016年にリオデジャネイロ五輪に出場。そして2021年。母国開催となった東京五輪で6度目の出場を果たしている。

2021年8月3日、東京五輪男子板飛び込み決勝、1本目の演技を行う寺内健
2021年8月3日、東京五輪男子板飛び込み決勝、1本目の演技を行う寺内健

私が初めて寺内選手の存在を知ったのは、小学3年生の時だった。初めて出場したジュニアオリンピックで、「すごい選手」だと先輩から紹介されたのがキッカケだ。しかし、その時はまだ先輩が言った意味をあまり理解できていなかった。

徐々にその「すごさ」に気付き始めたのは、私がジュニアの強化選手に選ばれるようになってから。先輩の言葉を理解した頃には、憧れのまなざしに変わっていた。

「私もオリンピックに行きたい!」。その夢をかなえて出場した2008年北京オリンピック。日本代表として選ばれたのは、あの憧れだった寺内選手と私の2人だけだった。私にとっては初めてのオリンピック。不安と緊張で押しつぶされそうだった。しかし、何度もオリンピックを経験している寺内選手がいつも励ましてくれた。とても心強かった。

日本代表になってからは、世界の大会だけでなく、たくさんの合宿でもお世話になった。代表選手になっても、プレッシャーや緊張はつきもの。そんな選手を見つけると、すかさず声をかけて勇気付けてくれた。その他にも、追い込んだ練習などで疲れている時には、いつも面白い話しをしてみんなを笑わせてくれた。そんな思い出がよみがえる。

そして、誰よりもストイックに練習する姿。

現役期間が長がったおかげで、たくさんの後輩たちが寺内選手の背中を見て育つことができた。そんな偉大な選手の引退。

最後の大会の男子シンクロ板飛び込みでは坂井丞選手と組んで8連覇を達成。最終演技を飛び終えると、大歓声とともに会場中から惜しみない拍手が送られた。たくさんのコーチや選手がかけより握手を交わす中、「全てを出し切った」と言わんばかりのすがすがしい笑顔がとても印象的だった。

競技人生最後の表彰台へと登り、有終の美で競技人生の幕を閉じた。

これまでの人生のほとんどを飛び込みにささげてきたレジェンドダイバー。今後は、さまざまな立場から飛び込み競技の発展に力を注いでくれることを楽しみにしている。(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)

4大会連続の五輪出場となる飛び込み代表の寺内健(左)と初出場の中川真依(右)(2008年撮影)
4大会連続の五輪出場となる飛び込み代表の寺内健(左)と初出場の中川真依(右)(2008年撮影)